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“背番号51”という特別な存在 元ベイスターズ・鈴木尚典に思いを馳せる

文春野球コラム ウィンターリーグ2019

2019/02/01
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 毎年オフの時期になると、好成績を残した重たい番号を背負った選手が、軽い背番号に変更することが多くある。DeNAの場合で言うと、一昨年セ・リーグの首位打者を獲得し、昨年も主軸の一角としてチームを支えた宮﨑敏郎は、このタイミングで背番号51から変更する可能性もあるのかなと思っていた。

 ところが、宮﨑は背番号を変更することなく、来年も背番号51を背負うことになるようである。ピンストライプのユニフォームの背番号51のリーディングヒッター。こう書くと、僕は宮﨑とは別の背番号51を思い出す。

現在、背番号51を背負っている宮﨑敏郎 ©文藝春秋

雨のオープン戦

 2009年3月22日対巨人オープン戦。この日の横浜スタジアムは雨が降っていて風が強かった。それにも関わらず、この日の観客の数は当時にしては非常に多かった。お目当てはこの日に引退試合が企画されていた鈴木尚典である。

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 この年からベイスターズのユニフォームは新しくなっていたが、代打で登場した鈴木尚は一人、前年度まで使用していたピンストライプのユニフォームを着用。大歓声の中、代打で登場した背番号51がグライシンガーのボールを強振すると、打球はあっという間にライトスタンドに吸い込まれていったのであった。ダイヤモンドを一周する鈴木尚を見ながら、ファンは雨なのか涙なのか分からない水で顔をグシャグシャにして、ありったけの歓声を上げたのである。

駆け抜けるダイヤモンド 両手を高く上げ とどろき渡る歓声が 君の胸を焦がす

 プロ野球の個人応援歌において名曲は数多くあれども、個人的に一番はこの鈴木尚の応援歌だと思っている。美しいメロディラインだけではなく、黙ってプレーで観客を沸かせる鈴木尚のプレースタイルに歌詞がピッタリだと思っていたからだ。ラインドライブがかかった強烈な打球で右中間を次々に抜く、卓越したバットコントロールに僕は何回も胸を焦がした。

ピンストライプのユニフォーム姿の鈴木尚典 ©文藝春秋

球道一心を体現した存在

走攻守揃ったトップバッター石井琢
チームを鼓舞するガッツ溢れるプレーが持ち味の波留
不動の四番ボビー・ローズ
空振りとゲッツーにやきもきさせながらも満塁では鬼神の如き強さを見せる駒田
ボーク打ち直しなど劇的な一打が印象に残る佐伯
華麗な守備で魅せる職人肌の進藤
強烈なリーダーシップで投手陣を引っ張る谷繁

 98年V戦士一人一人に対する思い入れは強いが、その中でも個人的には鈴木尚への思い入れは別格だった。青と黄色のバッティンググローブに、バットに印字されたロゴが投手に向くように持つルーティーン。マスコミに向けて発する言葉こそ多くはなかったが、調子が良かろうが悪かろうが無心にバットを振り抜く様は、応援団が横断幕に記していたように、まさに球道一心そのもの。派手さはないものの、朴訥に技術を探求し結果を残すその姿はたまらなくかっこよく、僕は憧れた。

 98年優勝後、毎年毎年優勝メンバーが様々な理由でチームを去っていく中、最後までベイスターズ一筋。2年連続リーディングヒッターを獲得しながらも、三冠王を目指してバッティングスタイルを変更したり、慣れない二番を任されたりして、徐々に自身の打撃スタイルは崩れていった。

 通算安打1456本という数字は、全盛期を考えればもっと重ねられたのではないかと思うし、決して順風満帆なプロ野球人生というわけではなかったと思う。中々上手くいかない中、一年間で放った安打のうちの多くが、泥臭く全力疾走で奪った内野安打という年だってあった。ただ、そんなひたむきな姿をファンはよく見ていたからこそ、成績がいまいち振るわなくなってきた時も、代打で鈴木尚が登場すると「タカノリコール」を全力で送っていたのだと思う。そんな現役時代ファンに愛された鈴木尚だったが、引退後すぐに2年間コーチを務めただけで、それからは球団職員として活躍しているという。

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