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活動休止 西野カナがスタッフに提出していた曲作りの「企画書」

歌詞にリアリティをもたらした「大学」と「ホムパ」

2019/02/03

 歌手の西野カナが、来月18日の30歳の誕生日を前に、きょう2月3日の横浜アリーナでのコンサートをもって活動を無期限休止する。昨年はデビュー10周年を記念した全国ツアーを敢行、11月にはベストアルバム『Love Collection 2 ~pink~』『Love Collection 2 ~mint~』を同時発売し、オリコン週間アルバムランキングでは初登場で1・2位を独占した。大晦日の紅白歌合戦には9年連続9回目の出場を果たしている。その直後だけに、今年1月8日の活動休止発表は人々を驚かせた。

1989年3月18日生まれの西野カナ ©getty

曲のイメージを「企画書」にしてスタッフに提出

 西野は1989年、元号が平成に改まって2ヵ月後、三重県に生まれた。高校2年生のとき、角川映画とソニー・ミュージックアーティスツの共催によるオーディションを受け、4万人のなかから見事選ばれる。このあと、大学入学を挟みながら準備期間を経て、2008年2月、シングル「I」でデビューした。

 西野はほとんどの歌詞を自分で書いている。「ケータイ世代の歌姫」とも呼ばれただけあって、デビュー当初は、歌詞を思いつくと携帯電話やノートに書き留めていた。しかし大学生活を経て、パソコンを使うようになる(※1)。2009年のシングル「もっと…」のころからは、曲を聴いて頭に浮かんだイメージを「企画書」にまとめてスタッフに提出するようになった。そこには、テーマはもちろん、主人公の性格や見た目の特徴、いまの彼のどんなところが好きか、失恋の曲なら元カレとはどんな別れ方をしたかなど、歌詞に出てくる人物の設定やストーリーが事細かに記されていたという(※2)。企画書はスタッフに渡してからも何度も話し合っては書き直し、ようやくまとまると、そこに自分の経験や友達の話を組み合わせて歌詞を乗せていく……というのが、彼女の制作スタイルであった(※3)。

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 作詞をするときに一番大切にしているのは“リアル感”。自分の恋愛観だけだと偏ってしまうので、友達のほか、年上の女性や男性も含め周囲にアンケートをとることもあるという(※4)。また、かつては曲に乗せやすい英語を使うことが多かったが、シングル「君に会いたくなるから」(2009年)あたりから日本語をメインに歌詞を書くようになった。

デビュー準備を進める一方で2007年に大学に進学する ©getty