「関白宣言」と重ね合わされた「トリセツ」
こうした工夫を重ねながら、彼女の作品は共感を集めていく。2010年には2ndアルバム『to LOVE』がヒットチャート初登場1位となった。NHKの紅白歌合戦に初出場したのもこの年である(曲目は「Best Friend」)。また、同アルバムにも収録されてヒットした「会いたくて 会いたくて」(2010年)は、「震える」というフレーズが強い印象を与えた。
西野はその後も、自分の興味や年齢に合わせて、書き方やテーマを変えている。たとえば、初期の楽曲では好きな人を「君」と呼んできたが、2014年のシングル「Darling」以降は「あなた」を使うことが増えた(※5)。「Darling」は、甘やかしたり甘えたりというカップルの日常を歌って、若い世代だけでなく熟年世代の共感も呼んだ。さらにこの手応えをもとに書かれた「トリセツ」(2015年)は、彼女から彼氏へさまざまな注文をつけるという歌詞が話題となり、さだまさしの往年のヒット曲「関白宣言」と重ね合わされたりもした。
「大学辞めたら人生終わると思っていたし」
西野は大学時代を名古屋ですごした。デビュー後には、平日は学校に行ってから、夕方上京して仕事をこなし、翌朝始発の新幹線で名古屋に戻って授業に出るということもよくあったという。そんなハードスケジュールでも、大学をやめようと思ったことはなかった。のちに当時の心境を次のように振り返っている。
《大学を辞めたら人生終わると思っていたし。だって、大学生活ってすごく楽しいんだもん(笑)。約3年間を友達と一緒に過ごして、そしたらもうみんなで一緒に卒業しようね! みたいになるでしょ? だから、絶対留年もしたくなかったし、辞めたいとはまったく考えなかったかな》(※3)
ホームパーティでの「とめどないガールズトーク」
大学時代の友人たちとは、卒業後も付き合いが続き、曲づくりでインスパイアされることも少なくないようだ。なかには「Believe」(2013年)のように、失恋した友達から「このモヤモヤした気持ちを吹き飛ばす曲をつくって」と頼まれて手がけた作品もある(※2)。最近でも、月イチ目標でみんなで集まってはホームパーティを開き、それが忙しい日常を支えるパワーになっているという。
《女子会のメインはもちろん、とめどないガールズトーク。恋愛や仕事など昔からお決まりのネタで盛り上がります。かと思えば、ここ数年は結婚や出産、さらなるキャリアについてなど、以前は出なかった話題で話し込むことも。友達もそれぞれの場所で闘って、たくさんの経験をしているんだな~って思うし、それが私の原動力にもなる》(※6)
昨年、29歳になったときには「20代最後の1年を思いっきり楽しもう」と決め、想い出づくりを意識して毎日写真を撮ったり、仲良し6人組で旅行に出かけたりしたとか。昨年末の雑誌のインタビューでは、30代にはたくさん旅に出たいと、南米の国々をコンプリートすることを目標に掲げていた(※7)。
西野の歌のリアリティは、こうした友人たちとの付き合いによって裏づけられてきた部分も大きいはずだ。30歳を前に一旦アーティストとして区切りをつけると決断したのも、一緒に年齢を重ねながら、それぞれ家庭を持ったり仕事でキャリアを積む友達からの影響もあるのではないか。果たして“普通の女性”として30代を迎え、これまでできなかった挑戦もして再び音楽の世界に戻ってきたとき、彼女はどんな歌詞を書くのだろうか。
※1 『日刊スポーツ』2019年1月9日
※2 『日経エンタテインメント!』2013年10月号
※3 西野カナ『LOVE STORY』(講談社、2014年)
※4 『anan』2013年1月23日号
※5 『日経エンタテインメント!』2016年8月号
※6 『MORE』2018年1月号
※7 『MORE』2018年12月号