池上彰さんが戦後日本の代表的人物を選び、彼らを通して「戦後」を読み直す、連続講義「“戦後”に挑んだ10人の日本人」 。毎回受講生を募り、文藝春秋にて公開授業として実施しています。
今回はそのなかから、「江副浩正」(第2回)の講義の様子をご紹介します。
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「リクルート社員の披露宴に現れなかった」江副さん
今回はリクルート事件の江副浩正さんです。
リクルート事件というのは、江副さんが自社の未公開株を政財官界、あるいはマスコミに配って利益を供与したとされる事件ですから、非常に関係者が多いのです。そんな中で、江副という人物についての評価を下すのは大変難しいなという思いを持っております。とくに私は、文部省の担当でリクルート社を取材したりして、まったくの第三者とはいえません。私にも見えにくい部分が多々あるのです。
私はあのころ、銀座7丁目ビルと8丁目ビルへ取材に行きました。広報の担当者は男性も女性もいましたけど、非常に優秀で明るくて、すっかり仲良くさせていただきました。あるとき、広報の女性が結婚することになりました。リクルート社の社員の結婚披露宴は実に派手です。私も招かれて行きましたけど、そんな会には慣れていないので、どうにも居場所がない感じです。広報の人が「そのうち江副さんがあいさつに来ますよ」と教えてくれたのですが、とうとう最後まで江副さんは現れなかった。
翌日、朝日新聞を開いて驚きました。社会面に「川崎市助役へ1億円利益供与疑惑」とあって、リクルートの不動産部門を担うリクルートコスモス社の未公開株を渡していた、と書かれています。川崎市の開発プロジェクト予定地に進出しようとしていたリクルートが、市の助役に未公開株を渡していたというのです。そうか、このせいで昨夜、江副さんは来られなかったのか──。
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「ドイツ語で合格した」ユニークな東大生
江副浩正がどんな学生だったかをひとことで表現するなら「イデオロギーなき東大生」でしょう。彼は、ほかの東大生とは違う、たいへんユニークな学生だったようです。
まず、入試はふつう英語で受ける人が多いのですが、彼はドイツ語のほうが受かりやすいという理由で、高校で習ったドイツ語で受けています。そして文科二類に合格するのですが、ドイツ語クラスに入ったことが彼には刺激になったようです。英語やフランス語のクラスより、ちょっと変わったクラス仲間が多かったからです。
入学したのは1955年。いわゆる60年安保闘争の前夜です。彼が課外活動として選んだのは「東京大学新聞社」。ここで広告営業のアルバイトをしたことが彼の人生を決定づけました。新聞部なのに、記者の仕事でなく広告取りの仕事を選ぶ。それも安保前夜という時期ですから、安保改定や岸内閣批判の記事が満載の紙面とは、およそかけ離れています。ところが、このアルバイトの仕事で、たぐいまれなる才能を発揮するのです。