昨年2月6日に、宮内庁が秋篠宮家の長女・眞子さま(27)と小室圭さん(27)の納采の儀を始めとするご結婚関係儀式を2020年に延期すると発表して、1年が経った。それに先立って小室さんが公表した文書と「平成流」の天皇制のあり方について、名古屋大学大学院人文学研究科准教授の河西秀哉氏が考察する。
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1月22日、秋篠宮眞子内親王と婚約内定中の小室圭さんが、家族の金銭トラブルについて説明する文書を公表した。その中では、「私がこの問題について明確なご説明を差し上げてこなかったことで多くの方々にご迷惑をおかけする結果になってしまったことをたいへん心苦しく感じています」としつつ、「解決済みの事柄である」と強調している。
これは、昨年11月22日に秋篠宮が誕生日会見で「それ相応の対応というのは大事ですし」、「今いろんなところで話題になっていること、これについてはきちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になるかもしれません。そしてそれとともに、やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」と述べたことに対応し、婚約を認めてもらうための行動だったと思われる。
なぜ小室圭さんの文書に対する批判が展開されるのか
しかし、事態は今のところ沈静化していない。むしろ、小室さんの文書に対する批判がメディアの中で展開されているように思われる。これはなぜか。国民の支持を得ることを第一とした「平成流」の天皇制のあり方とこの文書が異なることが、一つの要因ではないかと考えられる。
1989年1月7日、明仁皇太子は天皇に即位し、即位後の朝見の儀において、「国民とともに」「世界の平和」という文言の入った「おことば」を「です・ます調」で発表する。国民とともに歩むことが平成の当初から掲げられ、天皇制が変わったという印象を与えたのである。こうした姿勢が国民との関係性をより重視した「開かれた皇室」と言われ、マスメディアでは大きく取りあげられた。明仁天皇の即位後の言動は、新しい皇室像として好感を持って捉えられ、国民の支持を得ていった。