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大洋ホエールズ球団歌『行くぞ大洋』生みの親、三鷹淳さんに会いに(後編)

文春野球コラム オープン戦2019

2019/02/14

 古くは巨人の球団歌『闘魂こめて』を歌い、70年代には大洋ファン魂の一曲、『行くぞ大洋』の歌唱と作曲を担当した三鷹淳さん。前編ではその製作秘話を伺ったが、三鷹さんとホエールズの関係はそれだけじゃない。1989年から92年にかけて毎年カセットテープとCDで発売されていた『横浜大洋ホエールズ 選手別応援歌』。三鷹さんはこれにも深く関わっている。

数多くの社歌や校歌を歌った三鷹淳さん。『行くぞ大洋』に加えて選手別応援歌も担当した。

苦労した選手別応援歌の収録

 まず選手別応援歌について簡単に触れておこう。昨年音源をリリースしたのは中日、巨人、ソフトバンクのみだが、90年代前半~2000年代前半にかけてはセ・リーグを中心に各球団からオフィシャル音源が出ていた。特に99年はセの全球団からCDが発売される盛況ぶりである(パ・リーグはホークスを除きリリース数は少ない)。しかし2004年、阪神の選手別応援歌CDにおいて有名応援団が実際は作曲していないにも関わらず作曲者を名乗り、著作権使用料を不正に受け取っていた容疑で、その応援団の関係者が逮捕。これを機に、いくつかの球団は応援歌音源の販売を取りやめてしまった。

 そもそも日本で初めてトランペットによる選手個別の応援歌が作られたのは1978年の広島・山本浩二とされているが、それが他球団に広まり、「球場で応援歌を歌う」という観戦文化が根付いたのが80年代前半。なかでも巨人は早い時期から準レギュラー陣にも個別の曲が作られており、1985年に他球団に先んじて『読売ジャイアンツ 選手別応援歌』というカセットをリリース。以降毎年改訂版が作られるようになった。その後1989年のシーズン前、巨人に続いて大洋も選手別応援歌を発売。三鷹さんはその中で『行くぞ大洋』、『勝利花』に加え、収録されている各選手の応援歌のほとんどを歌っているのだ。

「実際に応援歌を作ったのは大洋の応援団だけど、それを作品にするとなると話が違ってくる。まずトランペットの演奏は、最初のレコーディングの時は確かスタンドでも吹いていた音大の学生さんがボランティアで吹きに来てくれたのかな。だけどトランペットって小編成だから、ほんの少しの演奏ミスがすごく目立つわけ。だから何度もやり直しになってね。仕方ないから最終的には日本コロムビア専属のミュージシャンに吹いて貰って、ようやくオケが完成したんです」

『横浜大洋ホエールズ 選手別応援歌』のカセットテープ。表面のマジックは市川和正さんのサイン。

 続いては歌入れ。これも当初の予定では三鷹さんのお弟子さんが歌う予定だったという。

「でもトランペットの音にきっちり合わせて歌おうとすると、どうしても音程が高すぎて声が出ない。だからお弟子さんには比較的音程が低い数曲だけ歌ってもらって、残りはサービスってことで僕が全部歌入れしたんです。結局最初の年から1992年バージョンまで、トレードやドラフトで新しい選手が入ってきたらその都度新曲をレコーディングしていました」

 応援歌を覚えるには球場に行くか、テレビやラジオの中継で聴き分けるしかない時代。毎年歌詞カード付きで改訂版の音源が発売されるのはファンにとって実にありがたい話だった。しかも収録されているのは三鷹さんたちプロ中のプロが一切の妥協なしに歌い、演奏したもの。「♪ユタカ ユタカ かっとばせユタカ」も、「♪打てよ 打て 打て 山崎」の泣きのメロディも、普段スタンドで歌われているのとは違うグルーブがあった。大洋ファンは、応援歌の範疇を超えた贅沢な音に慣れ親しんでいたのだ。

 しかし当時の応援歌は既存の曲を元にしたものが多い。加藤博一は映画『蒲田行進曲』の主題歌だし、高橋雅裕は『グリーン・グリーン』。屋鋪要の『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』に至ってはビートルズのナンバーで作曲はジョンとポールだ。応援歌として発売していたとはいえ著作権的にグレーな部分もあったのだろう。いま三鷹さんが歌った珠玉の応援歌を聴きたければ、レア化している廃盤のカセットやCDをヤフオクやメルカリで買うか、動画サイトをチェックするしかない。その点はやや残念である。

野手だけではなく投手、監督にもテーマがあった。