※こちらは文春野球のライター講座「文春野球学校 西澤ゼミ」受講生の課題原稿の中で「西澤賞」を受賞したコラムです。

【西澤千央氏、推薦コメント】

 今回課題のテーマにしたのは「わたしのスター」。講座では色々な話をさせてもらいましたが、その一つが「スターから逃げない」ということでした。スターは、難しい。情報も多い、語る人も多い、プロもそこから逃げてしまいがちです。ミリミリカッチさんの「中畑清」原稿を西澤賞(はずいな)に選んだ理由は、「自分」ではなく「スターであるキヨシ」が主役になっているところ。キヨシへの思いが成仏されていく様が素直に書かれていて、最後までするっと読めました。最後までするっと読ませるのも、難しい。というわけで、よろしくお願いします。

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「ハイ、前の席に移動!」観客に指示するキヨシ

 大教室は静けさに包まれていた。窓からは午後の日差しが眠気を誘うように降り注いでいる。新宿から急行で40分の女子大キャンパス。今教室に座っているのは、その親世代といえる人たちか、もうすこし先輩の方々ばかり……自分も含めて。座席は、半分埋まっているかどうかだ。

「本日は、わが校の創立110周年記念講演会にお越しくださいましてありがとうございます……皆さんご存知の通り、とにかく明るくて……今日も、車を降りられた瞬間から元気いっぱいの方です」

 拍手のなか、舞台中央へと歩いてきた途端、

「おっ! ベイスターズ!」

 演者は壇上から客席を差し、うれしそうに叫んだ。後ろのほうの席で、女子大生らしき3人組が、ベイスターズのタオルを掲げて手を振っていた。

「そこにも! ……おっ7番! 石川だな!」

 最後列には、ベイスターズのユニフォーム姿の男性。あわてて私もユニフォームをカバンから出す。出遅れた。もしもの時(どんな時だ)のためにバッグに入れていたのに。

「はい、ベイスターズは一番前に来る!」

 なんと演者、お客さんに席替え命令。きれいに空いていた最前列に女子大生3人組と石川さんが移動。ひと足遅れで私が掲げたユニフォームも指差し、「ほら、ぼくが監督のときのユニフォーム!」と、もうひとりの演者である瀬古利彦さんに自慢げに説明している。私は前から3列目に座っていたので、移動はなし。ちょっと残念だけど、気づいてくれたことがうれしい。

「ぼくはこういうね、みんなの熱を近くに感じて話したいので、この教室、ちょっと、みんなが遠いかんじ、イヤなんだよね。後ろの方、ぜひ! 前に来てください。ハイ、移動!!」

 どちらかといえば後方に集まり、間隔をあけて座っていた観客が、この掛け声を合図に、いそいそと前列へ引っ越してきた。すごい、やっぱりすごい。話を聞く前からもう、この人の凄さはじゅうぶんにわかりました。これがキヨシ!

やっぱりすごい、中畑清 ©文藝春秋

大好きなキヨシが、監督になった

 子どもの頃、夕食のお供はナイター中継だった。正直、ほかの番組が観たかった。でも「燃えろ〜キヨシ男なら」の応援歌だけは、家族と一緒に精一杯歌った。チャンスに強い4番打者。打席も守備も動きが派手で、喜怒哀楽、特に打ったうれしさを全身で表現するところが大好きだった。

 私が高校を卒業した翌年、現役を引退。やがて社会人になり、家族と夕飯を食べることもほとんどなくなったある日、TVで久しぶりにキヨシを観た。子ども達からの質問に答える形で、こう言っていた。

「いつか、どこの球団でもいいから、監督をやってみたい」

 その球団が、ベイスターズになった。会社帰りにふらりと立ち寄ってみたハマスタは、通うたびにさまざまな試みでファンを驚かせ、賑わいが増していった。チケットは取りにくくなっていったけれど、球場の中に一歩足を踏み入れた途端に、広い空と、満員の観客から放たれるはちきれそうな期待に身体が包まれる瞬間がたまらなく好きになった。選手時代同様、全身で勝利に喜び、審判に怒ってみせるキヨシ監督のもと、年々頼もしくなっていく選手ひとりひとりが愛おしすぎて、まさか監督を退任されてからもベイスターズファンでいつづけることになるとは、自分でも予想していなかった。

2012年から4年間、ベイスターズで監督を務めた ©文藝春秋