「摸倣」と似て非なる「パクリ」、どうすればいい?
冒頭の疑問に戻ろう。模倣とパクリとの違いは何か、なぜパクリはいけないのか。誤解を恐れずラフにいうならば、パクリとはブランドや商品のイメージ・信用力にただ乗りし傷つける行為であり、だからこそ絶対にしてはならない。そして、そこに至らない行為が模倣、と分類できそうだ。
では、パクリにどう対応すればいいのか。先の無印良品、本家シュプリームのケースから、世界的にその名を知られるブランドでさえ、パクリ対策にいまだ苦心していることが伺える。これらの事件から学ぶべきは、自らの権利を、迅速に、積極的に、そして戦略的に守ることがとても大切だということだ。
本家シュプリームの対応、腰が引けているのはなぜ?
本家シュプリームの姿勢にも表れているが、ファッション業界の一部には、いまだ、自分の権利を守るという意識が希薄であったり、権利を声高に叫ぶことはカッコ悪いと考える風潮が残っているように感じる。
そもそもファッションは、体制や市場への抵抗、自由の獲得といった文脈から生み出されることが多い。その手段として、従来のスタイルやデザインを模倣し、時にはパロディ化することでメッセージを打ち出し、新しい価値を生み出すことがしばしば行われてきた。本家シュプリームもそうした手法をとってきた。
たとえば、シュプリームの有名なボックスロゴは、商業主義等へのメッセージを打ち出したアメリカの現代アーティスト、バーバラ・クルーガーの作品を元ネタにしたと言われる。また、スーパーモデルのケイト・モスが出演するカルバン・クラインの広告にボックスロゴのステッカーを貼ってプロモーション活動をしたことも有名な話。
権利を守ることは、何らカッコ悪いことではない
このように、本家シュプリームは、誰かの作品を模倣し、時にパロディ化することで、反抗的でクールなスタイルを創り上げてきた。それにも関わらず自ブランドの権利だけを声高に主張することはスタンスに矛盾し、クールではない―本家シュプリームのいささか消極的な姿勢の裏には、こうした思いが隠れているのかもしれない。
自らの権利を守ることは、何らカッコ悪いことではない。権利を主張し適切に守ることで、ブランドの質もイメージも向上する。これはファンにとっても嬉しいことだ。むしろ、カッコよくありたいなら、自らの権利を計画的に保護することが重要であると認識すべきだろう。
ブランドひいてはファッション業界が発展するため、模倣とパクリへの取り組み方を根本から変える時が来ている。これらの事件は、こうした変革のプロローグなのかもしれない。