「高校を卒業したら何でもいいからすぐに働きたい」
ここでもっとも着目してほしい点。それは「努力をして貧困から脱却するぞ!」というステージに立つことができるのは、多くの場合(1)~(4)の欲求が満たされた「健全な人」である、ということです。
毎日生きることで精一杯で、死ぬことすら考えている人間が「医学部を受験して、医者になってお金を稼ごう」と思うでしょうか。虐待されていて、毎日生命の危機を感じている子どもが「東大に入るために猛勉強して、エリートになって家庭を助けよう」と思うでしょうか。私はそうは思えませんでした。
高校の進路相談で「卒業したら何でもいいからすぐに働きたい。一人で暮らしたい」と話した私に対し、先生は大学進学を勧めました。一方、母は私の大学進学に大反対で「あんたが働いてこの家を支えてくれないと、私たちはどうして生きていったらいいの?」と涙を流しました。
「そんなことは気にせず、自分の人生を優先すればいい」と思う方もきっとおられるでしょう。でもこのとき、私は「母を置いて一人で逃げようなんて、自分はなんてダメな娘なのだろう」と強い罪悪感を覚えたのです。母に「一緒に逃げよう」と提案したこともありましたが、兄について「あんな子でも、私にとっては息子だから。責任を持って最後まで面倒を見てあげないといけないの」と言う母を哀れに思い、私は実家から逃げることを諦めたのでした。
無自覚が招く「貧困の連鎖」
「見えざる弱者」が見ている景色と、健全な状態にある人間が見ている景色はまったく違います。しかし多くの人たちが、ましてや自身でさえもこのことを知らないゆえに、「見えざる弱者」は自分たちが不健全な状態にあることを自覚できていません。そして誰からも気付かれず、理由のわからない生きづらさを感じながら、他人と自分を比べては「どうして私は努力ができないダメ人間なのだろう」「自分はなんて怠慢な人間なのだろう」と、日々自分を消耗しながら生きているのです。
そして厄介なことに、彼らが「不健全な状態」に自覚を持たないまま家庭を持つことは「貧困の連鎖」にもつながりやすいのです。
私の両親もまた、機能不全家族で育った「見えざる弱者」でした。母は子どもの頃より借金狂いの祖父から暴力を受けていましたし、父は家族がいなかったため、今も「家族のあり方」を知りません。母だけでなく父もまた、精神疾患を抱えているのです。
そんな二人が結婚して生まれたのが私たち兄妹でしたが、両親は自分たちがどういう状態にあるかを知らなかったため、自身の精神を治療することもできず、支援が必要な状態であることにも気付けず、結果として新たな機能不全家族が生まれたのでした。彼らもまた、生まれてこのかた「マズローの欲求段階説」でいう「(2)安全欲求」の位置で立ち止まっていて、生きることだけで精一杯で、知らぬままに貧困を連鎖させてしまっているのです。