「見えざる弱者」が貧困を脱却するために
私が「貧困が連鎖する仕組み」に気が付いたのは、実家から避難することで身の安全を確保して、ようやく精神が回復し始めてからのことでした。実家に残してきてしまった父母のことを気にかけ、何とかして助けようと思えるようになったのはきっと、私の中にようやく「社会的欲求」が現れた証拠なのだと思います。両親のことを恨んではいません。むしろ今では「極限状態の中では、仕方がなかったことだ。そんな状態で、よくここまで育ててくれた」と感謝しています。
「貧困は努力すれば解決できる」という「理屈」は、どちらかというと「強者の理論」であると解釈しています。しかし、こうした発言をしている人たちを批判するつもりはありません。何故ならそこに悪意はなくて、ただ彼らが「見えざる弱者」の存在に気が付いていない、知らないだけだと思うからです。
「見えざる弱者」たちを支援する、貧困から脱却する力を付けてもらうためにまず必要なのは、彼らの存在や立たされている状況を、彼らを含めた世間に広く知ってもらうことです。支援者がいくら手を差し伸べようとしても、本人が「自分は支援を受けるべき人間ではない、自力で生きていかなければならない」と思ってしまっていては、支援者の手を握り返してもらうこともできないからです。
想像以上にたくさんの「見えざる弱者」がいる
大人になってから「実はこういう家庭で育って……」と人に話せるようになって初めて気が付いたのですが、「自分もいじめられたことが原因で対人恐怖症になり、引きこもりになって働けなかった」という人や「幼少期から家庭で性的虐待に遭っていて、今も精神疾患でまともに働くことができず、支援も受けられずに苦しんでいる」という人が一人二人ではなく、私の周りだけでもたくさんいたのです。そう考えると、私たちが知らないだけで、世の中には想像以上にたくさんの「見えざる弱者」がいるということになるでしょう。
みなさんには、私の家庭で起きていたことが「極端な例」ではないことを知ってもらいたい。あなたの身近にいる人が「見えざる弱者」であるかもしれないということを、今一度覚えていてほしいのです。
自分ができることを当たり前に他人にも要求しないこと。そしてそれができない人を許し、可能であれば手を貸すこと。自戒を込めて、いつか世界がそんな風になればいいと、しみじみ思う次第です。