「投票率52.48%」についての解釈には目を見張った
さらにさらに、今回の「投票率52.48%」についての解釈も目を見張った。
朝日は、
《自民県連関係者は「投票率50%を切ったら『投票は無駄だった』とコメントしようと思っていたが、そうはいかなくなった」と肩を落とす。》
《選挙で自民と連携する公明県本部幹部も「県民の意思が示されたのだから、政府はその結果を尊重すべきだろう」と話した。》
と、「投票率52.48%」は与党関係者も認めざるを得ないというコメントを載せた(2面)。
しかし読売はまったく逆の解釈。
「投票率52% 広がり欠く」
と書いたのだ(3面)。
「朝日」「読売」の見解の違いに目が釘付け。だから私は新聞を読んでしまう。
読売は《「投票資格者総数の4分の1」も超え、反対派には安堵感が漂っている》と書きつつも、
《ただ、総数に占める反対票の割合は37.65%で、投票率は52.48%にとどまった。単純に比較できないが、投票率は沖縄県で行われた全県選挙(補欠選挙を除く)で最低だった2014年の衆院選(52.36%)並みの低い水準だ。》
と論陣を張った。「単純に比較できないが」と言いつつ、過去の衆院選の投票率を導入したのだ。いろいろ考えていたのだろう。
さらに、
《自主投票で臨んだ移設容認派の自民党県連も「反対多数は想定の範囲内だ。盛り上がりに欠け、県民の総意と呼べない」(幹部)と冷ややかだ。》
と書いた。
しかし与党の「自主投票」に関してはこんな記事も。
《自民、公明両党の県組織は、反対多数になることを見越し、投票率を下げることで正当性がないと訴えようと、街頭演説などを行わない「沈黙戦略」をとったが、奏功しなかった。》(東京新聞2月25日)
この東京新聞の記事の見出しは「自公の沈黙戦略 不発」。
つまり、自公は盛り下げようと努力したが投票率は50%を超えてしまった。そう考えることもできるのだ。
投票率「52.48%」をどう表現するかだけでこんなにちがうのである。