届かなければならない人に情報を届けたい
――ちなみにSmartNewsユーザーにはどんな記事が人気があるのでしょうか?
年齢層もあまり偏りがないためか、明らかな特徴はあまりないんですよね。「短い記事のほうが読まれるんですよね?」とよく言われますが、そんなことはなくて長いものもよく読まれます。「文藝春秋」の記事が配信されればSmartNewsでもよく読まれると思います。
しっかりとした記事の反対に、速報などほとんど見出しだけのニュースもやはりよく読まれます。このあたりは機能的な価値をもった情報なので、これはこれでうまく届けられる仕組みを、もっとインテリジェントにしたいですね。
サイトの滞在時間も伸びていますし、時間帯ごとで読まれる記事も異なります。ウェブメディアはもっと動的に、一日に何度も編成が変わるようなものに、どんどん変わっていくでしょうね。
――藤村さんご自身が思う、SmartNewsの達成度、満足度は?
まだまだ全然低いですね。SmartNewsはもっと進化しないといけないし、実現しないといけない大きなテーマがあると思っています。
マスにとっては重要でなくても、特定の人にとっては重要な記事があるはずで、その記事と出会えたことによってその人が救われたり、大きな力を得たりする。そんなマスとニッチの関係性はデジタルだけでなく、紙の時代からずっとあったことで、ニッチの分野に力を注がれている方々が適正に報われる仕組みを作りたいんです。うちのエンジニアはそういう動機を持っていますが、まだまったくの道半ばというところです。
――ニッチだけども強度の高い情報への出会いを、偶然や読者のリテラシー任せにするのではなく、ある程度まで技術でサポートしたいということですね。
宣伝文句っぽくなってしまいますが、SmartNewsはコンテンツの作り手と読者、それぞれにとってよい関係を目指しています。作り手は良い読者と出会いたい、読者は求めている情報と出会いたい、両者が無駄なく繋がる環境作りは夢であり、実現できない夢ではないと考えています。
私は90年代、アスキーで雑誌の編集者をしていました。業績が厳しい時代で、当時のCEOの西和彦さんは、定期的に各誌の編集長を呼び出して「お前らは犯罪者だ」、悪いことをしているんだと叱りつけるんです。いわく、こんなにたくさんの天然資源を使って、雑誌を刷ってばらまいて、たくさん返本されて裁断して、人の役に立たないものになる。だからお前らを懲らしめるために、返本の山を見えるところに積んでやる、と。冗談かと思ったら本当にエレベーターホールに積み上げるんですよ。それ以来、印刷という行為に拭い難い罪悪感がついてしまったんですけど(笑)。
デジタルは天然資源ではないけれど、届かないといけない人に届いていない状況は同じで、蓋然性でいえばより届きやすいはずです。だからこの状況を突破したいんです。今はたくさんの情報が溢れているけれど、多くの人が良質で必要とする情報にアクセスできていません。検索上位に入る情報が人為的に作られて、それでいいと終わってしまっている可能性がある。まだまだやることはあるなと思っています。
――ここ20年くらいの紙とデジタルの関係を思い返すと、過剰なまでの期待と反動のような失望の繰り返しだったような気がします。ネットメディアについての諦めを口にされる方も少なくないのですが、藤村さんはそうやってある種の楽観主義を貫かれているのでしょうか?
私個人でいえば印刷物に回帰している気がしますが(笑)、まだ21世紀型のメディア産業になっていないんだというのが持論なんです。私たちが知っているメディア産業は、20世紀の100年をかけて作り上げられてきた産業構造モデルで、よい意味でも悪い意味でもまだ脱皮できていない、21世紀型メディア産業はまだ始まっていないんだと思います。
雑誌、新聞、テレビ、ラジオそれぞれが垂直に統合された構造は変わっていくでしょうし、混ざりあってどういう構造に変化していくのかは、まだまだ描ききれていない。でも描けるような気がしています。
僕は基本的にテクノロジーは尊重するほうなんです。テクノロジーそのものにハートはないので、テクノロジーを倫理的に使うかどうかで結果はまったく違うものになってしまいます。人間の判断が重要で、それをせずにテクノロジーそのものを憎んでもしょうがない。良い方向にうまく使うしかないんです。