「プーチンの野郎、おれたちがぜんぶ死ぬのを待ってる」
懇談会終了後、福澤さんを追いかけていって、話を聞かせてもらった。
戦後70年以上、待って待って、待ちぼうけを食って、町内の元島民には「どうせ島は返らない」と諦めの空気が漂う。
「多くの人がこう言うんです。プーチンの野郎、おれたちがぜんぶ死ぬのを待ってる。一世が死んで、二世、三世の代になったら、もう返還運動も終わりだとね」
絶望寸前の元島民たちが、最後のわずかな望みをかろうじてつないでいるのは、島を追い出される際に放置せざるを得なかった土地、家、漁業権、船や漁具といった財産の補償の実現だという。
「国からいくばくかでもいいから、補償していただければ、ありがたいと。それだけ切羽詰まっているんですよ」
「択捉はもう戻らないかな」――択捉島二世の諦め
懇談会に出席した元島民と後継者の中で最年少、中標津町の田中晴樹さんは択捉島二世の58歳。シンガポール合意の後、まるで東西冷戦時代に逆戻りしたような、強気一点張りのロシアの姿勢が気にかかるという。
「シンガポールで二島ということになったんですが、最近のロシアの記事とか見て、『これはどういうこと?』『返ってくるフシはなさそうなのかな?』と思っているのが現状です」と、胸の内を明かした。
ロシア国内では、返還反対派の抗議デモがあり、ラブロフ外相からは「南クリル(ロシア側の北方領土の呼び方)の主権を含め、第二次大戦の結果を認めよ」という戦勝国の上から目線の発言があり、「北方領土と呼ぶことも受け入れられない」と元島民の気持ちを逆なでするようなジャブもあった。
ロシア側の攻勢に対し、日本側は「不法占拠」や「返せ!北方領土」を封印し、忍の一字に徹しているのだ。
筆者が懇談会終了後に、他の出席者に話を聞いているうちに、田中さんは中標津に帰っていた。電話して択捉島二世の気持ちを聞いた。「択捉島は戻らない、すっかりロシアになってしまったと、誰もが言うんですけど」と水を向けた。田中さんは「うーん」と唸って「択捉はもう戻らないかな、という気持ちはありますよ」と答えてくれた。
そして「本当に戻るなら二島でもいい、と思っていたけど、ロシアにあんなこと言われてはねえ」と、溜め息まじりだった。
写真=奈賀悟