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「島を返せと言うなということになっている」

 しかし、なおみさんの話から四島に戻ると、大坂さんの目がもう笑わない。

「シンゾー、ウラジーミルという親密な関係、そんなに仲がいいなら、二島でも返すんじゃないかと思うでしょ」。安倍首相とプーチン大統領の親しげな姿をテレビで見るうち、元島民の期待はいやがうえにも高まったという。

「そして、最近では、ロシアと仲良くしようというスタンスじゃないの、島を返せと言うなということになっている」

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「この先、北方領土はどうなるんでしょう?」と、筆者が元島民に必ず聞いている質問を大坂さんにも、投げかけてみた。

「そんなこと、ぼくにわかるわけないじゃないですか」

「おっしゃる通り、島を返せ、ということまで言わないで、根室はがんばってますが」

 大坂さんがひと呼吸おいて、こう言った。

「でも、現状では、むしろ遠のいたんじゃないですか」

 むろん、遠のいたのは北方四島という意味である。

 それは、今年2月7日の「北方領土の日」でのことだった。

納沙布岬灯台の奥、崖の直上にある野鳥観察の「納沙布岬ハイド」から北方領土を望む……はずだったが、この日は彼方に海霧が立ち込め、ついに島影は見えなかった。

東京では「不法占拠」、地元では「返せ」の文言が封印された

 東京で開かれた北方領土返還要求全国大会で、締めくくりに採択された大会アピールから「北方四島が不法に占拠され」という例年盛り込まれていた文言が消えた。

 当時のソ連が日本の太平洋戦争の敗戦に乗じて四島を占拠し、冷戦が終わってロシアになっても不法占拠を続けているという返還運動の大前提が封印されたのである。メディアはこぞって日本政府がロシアを刺激することを避けている、などと報道した。

 足並みを揃えるように、この日あった根室市での根室管内住民大会では、例年ハチマキや横断幕に使われてきた「返せ!北方領土」という文言の使用が自粛された。

 その代わりに、「日露平和条約の早期締結を!!」と書かれたハチマキが会場で配られ、シュプレヒコールは「日露平和条約を締結しよう」「北方領土問題を解決しよう」という穏やかなものとなった。

 住民大会は根室市と根室管内中標津、標津、羅臼、別海の4町の行政が中心となって準備が進められた。元島民からは、当然ながら不満が漏れた。長年、元島民は「返せ」とシュプレヒコールすることで、四島返還が一歩も動かないもどかしさ、憤り、悲しみ、その他もろもろの感情を吐き出してきたのだ。

 しかし、根室は「北方領土返還運動の原点」の地。「ロシアを刺激して、地元の根室が安倍首相の足を引っ張るわけにはいかない」と統一が図られた。元島民にとっては、東京で「不法占拠」が封印されたことより、「返せ」が封印されたことの方が深刻だったかも知れない。

ホテルの窓を開けると、目の前にド迫力のモニュメントがあった。根室ではいたるところに「返せ」の看板やモニュメントがある。

歯舞・色丹二島ぽっきりで手を打つ政策へ

 転機は2018年11月、安倍首相とプーチン大統領のシンガポール合意だった。

 両首脳はシンガポールで、日ソ共同宣言を基礎に平和条約の締結交渉を加速させることで合意した。1956年に当時のソ連と国交回復を実現した日ソ共同宣言は、第9項で、平和条約を結んだ後に、ソ連が歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すと定めている。

 日本政府から正式な発表はないものの、56年宣言で平和条約を結ぶ方針は、国後・択捉二島はあきらめ、歯舞・色丹二島ぽっきりで手を打つ政策へと、事実上、舵を切ったことを意味している。

 元島民の子ども世代でつくる後継者の会の59歳のメンバーは打ち明けてくれた。

「根室は四島返還が建前だけど、もう、みんな仕方ないだろうって思っている。シンガポール合意で領土が動くなら、四島なんて言わないから、一島でも二島でも返ってほしい」