「オオカミ少年みたいなもんだよ」大坂なおみ選手の祖父が語る北方領土のいま〉から続く

 根室管内住民大会の当日、穏便なシュプレヒコールのなか、一人の元島民が「返せ!」と絶叫したらしい。別の取材で不意にその人の名前を聞いて、ああ、やっぱりと筆者は腑に落ちた。

 色丹島生まれで、先祖代々の漁師、得能宏さんである。

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「島が返還されたら、すぐ帰ります」

 得能さんと初めて会ったのは、2年5カ月前のこと。月刊誌「文藝春秋」の取材で根室を訪れた時だった。当時は2016年12月のプーチン大統領来日の直前で、歯舞・色丹の二島だけでも返還が現実になるかもと、根室は異様な高揚感に包まれていた。

 当時は、安倍首相の並外れた「外交力」とプーチン大統領の強大な権力に基づく「決断力」が盛んに喧伝され、首相の地元山口での会談で、領土交渉が必ず動くと見た根室の人びとの期待はマックスまで膨れ上がった。

「色丹愛」にあふれる得能さんもその一人。「色丹はね、熊も蛇もいないんだよ。いるのは狐くらい。夜中にどこを歩いても安全なんだ。島が返還されたら、すぐ帰ります。ああ、キャンプしたいなあ。ビザなし交流で島に行っても、キャンプなんかできないんだよ」。少年のように紅潮した得能さんの頬を思い出した。

 早速、得能さんに電話を入れた。しかし、こころなしか得能さんの声に張りがない。このところ体調がすぐれず、「明日病院で検査してもらうんだ」と言う。

「得能さん、返せって叫んだんですって?」と筆者。

「それは違うだろうって、腹がたってさ、ぼく一人でいいから叫ぼうと思ったのさ」

色丹島出身の得能宏さんは「安倍総理、1回くらい根室に来てくれって、思うよ」と言う。島民と対話し、根室の実情を実際に見て「そのうえで自分の判断をしてくれればいいと思うよ」。

「ぼくは漁師だから声がでかいんだ」

 翌朝、市立根室病院の外来待合室。日本中どこでもありふれた光景だが、ここも、お年寄りでごった返していた。筆者は血圧計のそばの長椅子に座って、血圧を計るのに不慣れなおばあさんたちを手伝ううち、得能さんが姿を見せた。

「おっ、待たせたかな」と懐かしい顔の右手が挙がった。得能さんは、2月14日のバレンタインデーに85歳になったばかり。

「ぼくは漁師だから声がでかいんだ」。得能さんの声は少しかすれていたが、以前と変わらぬエネルギッシュさは健在だ。

 そして「北方領土の日」の、やり場のない憤りは冷めていなかった。根室の住民大会で消えた「返せ」という文言。得能さんは、今でも、納得できない。

「調子のいい人たちに丸め込まれて、気がついたらこんなはずじゃなかった、と言っても後の祭りなんだ」

 たった一人の叛乱だった。住民大会に集まった約800人が「北方領土問題を解決しよう」とシュプレヒコールを上げるなか、一人で「返せ!」と怒鳴り声を張り上げた。

北方領土の日から10日後に開かれた多楽島の元島民と後継者の会。ここには、「返すまで叫ぶぞ」と、例年通りのプラカードがあった。