貧乏のどん底を味わった
持ち出せた家財道具はわずか。根室に着いても、家がない、着る物も、もちろん日々の食事もない。年が明けて、日本海側の奥尻島へ、漁業開拓団に参加して移住した。
奥尻島でも、真冬なのに当初はテント暮らしを余儀なくされた。蓄えの米も底をついた。
「貧乏のどん底、というのは、ああいうことを言うのだろうな」
6年後、漁業開拓に挫折し、一家そろって根室に舞い戻った。父親の克治さんは鮮魚を詰めた一斗缶を背負って、「ガンガン部隊」と呼ばれる行商に出て一家を支えた。
作次郎さんが脱出の船に積んで、その後も根室-奥尻-根室と大事に持ち歩いたトランクがある。中身は、大量の書類だ。留夜別村役場発行の「馬籍簿」。これは馬の戸籍。北海道拓殖銀行根室支店の預金証書。そして土地の権利証。「いずれ島に帰った時に必要になる」と、作次郎さんは常々語っていた。
宮谷内さんは今、76歳。国後島を夢見ながら作次郎さんが亡くなったのも76歳の時だった。トランクの中の書類は宮谷内さんが引き継いでいる。
二島プラスアルファの“アルファ”の意味
「祖父や父の無念というものを知っている。私自身も国後の人間だが、シンガポール合意を受けて、歯舞・色丹で国境線が引かれてもいいと思ってる」と宮谷内さん。
平和条約が結ばれれば、国後・択捉二島はロシアの領土となることが確定する。国後・択捉を故郷とする人たちには耐えがたいことだが、「しかし」と宮谷内さんは続ける。
「歯舞・色丹が戻ってくる時、国後・択捉と自由に行き来できる仕組みをつくる。元島民と後継者が彼岸や盆に島に行って自由に墓参りができるという仕組みだ。二島プラスアルファという時、アルファの部分はそういうことだと思う」
「平和条約を結んでも、強気のロシアが歯舞も色丹も返さなかったら?」と筆者。
「歯舞は一般人が住んでいないんだから、最低でも一島はきっと返す」
宮谷内さんは今年8月にはビザなしの自由訪問に行く予定だ。息子や孫を連れて、家族計6人で国後島に渡る。「子どもたちへの引き継ぎの旅です」と言う。
国後島には、曾祖父の作松さんをはじめ家族6人が眠っている。
写真=奈賀悟