上田城以前に真田氏が本拠地とした城‐真田氏本城
真田氏発祥の地である真田郷の山上にあった山城で、天文年間に真田幸綱(幸隆)が整備して本拠地にしていたと考えられているが、発掘調査によって鎌倉時代から存在していたことがわかっている。真田山城、松尾新城、住連寺城、十林寺の城山などの別称もあるが、真田地域の中央に位置し、真田郷付近の城の中で最も大規模かつ防備も複雑で、上田盆地を一望できるため、現在では真田氏本城が正式名称となっている。ここでもNHK大河ドラマ「真田丸」のロケが行われたようだ。
海野平の戦いで武田・村上・諏訪連合軍に敗れてこの地を追われた幸綱(幸隆)一家は同じ六文銭の家紋を用いる上州吾妻の羽根尾城主・羽尾幸全にかくまわれた後、箕輪城主・長野業政を頼りしばらく箕輪城で暮らす。その後、友人だった山本勘助の紹介で天文10年代に父親を追放して武田家の総領となった武田晴信(信玄)の家臣となり、真田郷への帰還を果たす。その後、真田氏本城は幸綱(幸隆)、昌幸によってさらに整備・拡張され、昌幸が上田城を築城するまで再び真田氏の本拠地となっていたと考えられている。(※砥石城が本拠地だったという説もあり)。
ただ、本拠地といっても常時住んでいたわけではなく、戦が起こったときのみに詰める山城で、平時は山の南斜面を下った先に建てた真田氏居館(御屋敷)で生活や政務等が営まれていたと推定されている。
戦時、山の上に建つ城で籠城する際に最も重要な物資は兵糧と水。そのため幸綱(幸隆)は直下の集落から尾根伝いに水路を整備し、本郭付近まで水を引き込んでいた。
真田氏本城
所在地:長野県上田市真田町長5029-3