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「元号」って言うほど使うか?――さようなら平成

伝統って、我慢すべきものなのでしょうか

2019/03/31

genre : ニュース, 社会

元号制度そのものに合理性を加えては、と思う事情

 世間を見渡せば、伝統の皮を被った良く分からないものというのはたくさんあります。最近では、恵方巻の起源を巡って喧々諤々議論がされましたが、最終的にコンビニで大量の恵方巻が廃棄処分にされるニュースとともに「どうでもいい」という結論に終わったようであるのが印象的です。そもそもお盆って何で休むんだっけ、さくらの咲く季節に入学シーズンを迎えるからギャップイヤーが問題なんじゃないか、いつの間にか戦後以降我が国の習慣として定着してしまったクリスマスやハロウィーンやバレンタインデーなどといった事案も大量に横たわっていて、良く分からん風習は増える一方です。

川崎市のハロウィーンの様子 ©iStock.com

 一方、私が今回元号そのものにもうちょっと合理性を加えられるような改革をしたほうがいいんじゃないかと思う事情としては、単に新元号対応に追われるシステムエンジニアの残業を減らしてあげたいという話だけでなく、暮らしていくうえでの不便が絶えないということがあります。

 最近はお役所も西暦併記の統計資料を出してくれるようになって少しは良くなったのですが、昔からいまに至るまでの年度管理というのはそれなりに大変なものがあります。オイルショックは昭和何年だっけ、あれ、それって西暦いつだっけみたいな単純なものに始まり、昭和48年から平成22年までって合計何年だったか咄嗟に出てくる人はそう多くないと思います。

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ケアレスミス誘発マシーンのようなもの

 会社や不動産の登記を上げてみて出てくる和暦、官公庁が出す書類の元号の羅列、どれも確かに日本の伝統ではあるけれど、仕事で扱えば扱うほどこれは分かりにくいしケアレスミス誘発マシーンのようなものにも感じられます。便利さだけが文化じゃないと頭では分かっていたとしても、海外の統計資料と見比べるときに和暦を西暦に直すためだけにマクロを組んだりする手間や、何か間違っているんじゃないかと見直してみて立ちはだかる元号の壁というのは言葉に尽くしがたいものがあります。

©iStock.com

 日本の風習や伝統があるから劣っていると言いたいわけではなく、趣や情緒が絡むのもまたよしとは言え、例えばいまなお使われる微妙な制度に印鑑制度があります。きょうびデジタルなこの世の中で印影偽造し放題であろう印鑑を公的に役所に登録して、わざわざ証明書を添付しないと各種公的手続きが進められないとか異常にだるいわけですよ。古い通帳から資金を動かすのにどの印鑑で登録したのか分からなくなって銀行の窓口に並んで二度手間三度手間という事態にも事欠かず、この伝統を守るために国民はどれだけ不便をしているのか考え直す必要があると思うんですよね。