5月1日に改元を控え、文春オンラインが報じた「平成」記事を特別公開します。題して、「さようなら、平成!」(初公開 2018年7月16日)

 今から30年前。昭和天皇崩御によって、昭和は平成へと代替わりした。予期できない「改元」をメディアはどう取材し、その日を迎えたのか。新元号「平成」を公表30分前につかんだのは毎日新聞。政治部「元号班」に所属していた、現在は愛知東邦大学学長の榊直樹さんが当時を振り返ります。

元毎日新聞「元号班」記者の榊直樹さん。当時の号外紙面を前に

111日間ずっと、会社に泊り込みだった

 ああ、懐かしいですね、この号外。私たち「元号班」が予定稿を作っておいて、「平成」「出典は『史記』『書経』」というのを急いで書き込んで輪転機に回したもの。当時を思い出しますね。

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——この号外が出された昭和64年1月7日、昭和天皇崩御の当日、榊さんはどちらにいらっしゃったんですか?

 東京・竹橋の毎日新聞本社にいました。早朝に叩き起こされましたが、数日前から天皇の容態について「プロペラの羽が見え始めた」という謎めいた官邸関係者の示唆があって、崩御の日が近いことを感じました。前年の9月19日以降、111日間ずっと会社に泊まり込んで、家には帰ってないはずです。

——昭和63年9月19日というのは、昭和天皇が大量吐血した日のことですね。

 そうです。いわゆる昭和の終焉に関しては、昭和62年9月22日、天皇に「お腹のご病気」があると報じられ、開腹手術をしたときから、各社それぞれ水面下で取材や準備を始めていました。ただ、その頃は泊まり込むほどの切迫感はなかった。一気に「Xデー」に向けて緊張が走り始めたのが、この昭和63年9月19日深夜のことです。この日から社内の幹部の目はつり上り始めて、わけもなく怒鳴る人まで出てきましてね(笑)。とにかくピリピリしたムードになって、私も家に帰れなくなったというわけです。

 

「元号班」は何をするチームだったのか?

——榊さんが所属したという「元号班」とは一体、何をするチームだったのですか?

 その名の通り、新元号をスクープすることを至上命題として、元号がどう決められていくのか、政府関係者から元号考案者と思しき高名な学者まで徹底的にマークして取材をする班でした。同時に、「代替わり」は宮中祭祀と政治が密接に関わりあうものですから、憲法上の「政教分離」の論点などについても研究し、来たるべき時に向けて準備するのも仕事でした。私たち「元号班」はメンバーが2人だけで、私ともう一人は現在毎日新聞の主筆である小松浩君。招集されたのは天皇の手術があった昭和62年9月です。