映画『ボヘミアン・ラプソディ』の世界的大ヒットにより、社会が大きく変わった。これまでクイーンの「ク」の字も知らなかった人、ロックなんて……と敬遠していた人までもが、クイーンとフレディ・マーキュリーの虜になったのだ。

 特に、フレディの死後に生まれ、「せめて10年早く生まれていたら、フレディの生歌が聴けたのに」などと悔しがっている若者がとても多い。

 そのような人々に私はちょっと自慢する。私はクイーン世代の人間。彼らの音楽をリアルタイムで聴いていたのだよ、と。

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 もっとも、そうは言ってみたものの、当時、私は受け身の聴き方をしていた。喫茶店などの有線放送やラジオから流れてくる彼らの音楽をただ聴くだけ。自らレコードやCDを買ったわけではなく、ましてライヴに出かけたわけでもなかった。私がクイーンとフレディの虜になるのは随分とのちのことだ。なぜそのようなことになったかは後で述べるとしよう。

映画は素晴らしい出来だった。だが…

 ともあれ、映画『ボヘミアン・ラプソディ』については、行こうか、行くまいか、散々迷った。フレディが好きすぎる……。見たら、私のフレディ像が崩されてしまうのではないか、と恐れたのである。

 それでもクイーンファンを名乗るからには、見ていないでは済まされるはずもなかった。

 映画は評判の通りの素晴らしい出来だった。だが、一つだけ不満が残ってしまった。それはとても大切な点であり、フレディの人生にも音楽にも大いに関わっているはずの、「性的指向」についてだ。彼はバイセクシャルであり、ゲイ(男性同性愛者)でもあった。それらについての描写があまり丹念ではなかったのである。

 映画の世界には何かと制約があるのだろうし、この部分をあまりにも強調すると、興行成績によくない影響を与える可能性もある。おそらくそのような事情からではないかと思いつつも、やはり不満が残るのである。