長嶋有(ながしま・ゆう)

長嶋有 ©佐藤亘/文藝春秋

1972年生まれ。2001年、「サイドカーに犬」で文學界新人賞を受賞し、小説家デビュー。同作で芥川賞候補となる。02年、「猛スピードで母は」で芥川賞受賞。07年、『夕子ちゃんの近道』で大江健三郎賞受賞。16年、『三の隣は五号室』で谷崎潤一郎賞受賞。『タンノイのエジンバラ』『パラレル』『泣かない女はいない』『ジャージの二人』『佐渡の三人』『問いのない答え』『愛のようだ』『フキンシンちゃん』など著書多数。

泣かない女はいない (河出文庫)

長嶋 有(著)

文藝春秋
2007年10月 発売

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恋愛小説ブームが終わって、「最初で最後の『泣ける』恋愛小説」という帯の『愛のようだ』を書いた。

──私がはじめて長嶋さんにインタビューしたのは、『泣かない女はいない』(05年刊/のち河出文庫)の時なんですよね。あの時に会社小説を書いたというのは、ご自身が勤めた経験があったからだったという。

長嶋 それがシヤチハタですよね。『泣かない女はいない』で使わなかった残りで十畑さんが生まれた。

――『泣かない女はいない』で会社員時代のことを書き、『ジャージの二人』ではお父さんと毎夏山荘に行く経験がベースにあり……などと、昔からご自身の体験と重なる部分を小説に取り入れていますが、その私小説っぽい部分の濃度がどんどん濃くなっていきましたよね。

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長嶋 そうですね。最初の頃のほうが、もっとフィクションにしなくちゃ、という気持ちがつよかった。

――その気持ちの変化については以前うかがったことがあります。毎夏、山荘で友人らとゲームをして過ごす様子だけを書いた『ねたあとに』(09年刊/のち朝日文庫)の主人公は架空の存在ですが、長嶋さんご自身をはじめ、お父さんや、長嶋さんの実際のご友人たちと思わせる人たちが続々登場します。そのインタビューの時に、親戚の人のひと言があった、という話がありましたよね。

長嶋 そう、実際の人物とは異なる設定で書いているのに、『猛スピードで母は』では「お母さんこんな人だったんですか」と訊かれ、『ジャージの二人』では「お父さん、3回も離婚なさったんですか」と訊かれてしまう。実在の人物を保護しようとしてフィクションにしている面もあるのに、保護になっていない。だったら本当のことに肉薄しようと思ったんです。その時期に、学者でもある親戚がいて、その人のことも直截に書いてる小説を途中で読ませたら、「ぜんぜん構わないよ。だって小説だろ?」って言ってくれて、勇気づけられたんです。

 あれは『佐渡の三人』を書いていた頃じゃなかったかな。実はあの小説はかなり長い期間にわたって書いているので『ねたあとに』より先に書き始めている。そういうことがあったので、『ねたあとに』や『佐渡の三人』はかなり私小説的な、素っ裸みたいな小説になった気がする。『ねたあとに』は夏の山荘でのことしか書かないという定点観測をしていて、『佐渡の三人』は親戚が亡くなった時の納骨とか葬式のことしか書かないという定点を保った話ですよね。

――あ、定点観測の話になりましたね。それも長嶋作品の多くに見られる特徴です。『愛のようだ』も、ほぼ移動中の車の中だけのことが書かれてあって、車内という定点が保たれている。

長嶋 手癖のようにそれをやっていますね。そのことに実験的に何か深い意識があるわけではないんです(笑)。書きやすいとか、そのほうが面白いとかいう理由なだけ。場所を限定したほうが何か浮彫になるものがあるだろうというくらいの意識はあるかな。車の中に限定するとか、納骨の瞬間だけに限定するとか。定点という手法意識はあるけれど、それほど手法手法した気持ちではなくて、書く時の気分が、その方が面白いからだというぐらいの感じです。逆に今は、定点じゃない長篇はさっと書けないような気がする。

――『愛のようだ』はさきほども言いましたように帯にあえて「恋愛小説」とありますよね。でも、遡って『夕子ちゃんの近道』の時は、連載初回を読んだ編集者に「これ、恋愛小説になりますよね」と言われて「絶対そうはしない」と心に決めて書いたとうかがいました。「あえて書きたくないものを外した小説を書きました」ともおっしゃっていましたが、どういう心境だったのでしょうか。

長嶋 あの時期、1人だけじゃなくて、いろんな編集者が異口同音に「長嶋さん、恋愛小説を書いてください」って言ってたのよ。2002年に1冊目が出たでしょ。その時に僕のところに来て扉をノックしてくれた編集者の何人かがそう言っていた。僕はなんでか分からなかった。そういう話は照れくさいからという理由であんまり書きたくなかったんだけれど、全部断るのもどうかなと思って書いたのが『泣かない女はいない』だったの。今思うと、『ノルウェイの森』から『世界の中心で、愛をさけぶ』の頃までずっと、純文学で売れるのって恋愛小説だけだったんだよ。

――『ノルウェイの森』は1987年。『世界の中心で、愛をさけぶ』の刊行が2001年で、映像化などは2004年頃かな。結構長い期間ですよね。『泣かない女』が2005年で『夕子ちゃんの近道』は2006年の刊行です。

長嶋 2000年前後に『冷静と情熱のあいだ』もありました。恋愛的なことがすごく色濃くみられていて、少しでも売りしろを作るためのキーワードが「恋愛小説」だった。安直だったとも言えるよね。僕はそれに反発して『夕子ちゃんの近道』を書いたら、そういう依頼がこなくなったと思っていたけれど、そうじゃないんですよね。ちょうどその時期に恋愛小説ブームが終わったんですよ。その後は、純文学的な、人間のことを書きたいっていうことを裏切らないままヒットできるテーマといえば犯罪になった。吉田修一さんの『悪人』とか角田光代さんの『八日目の蝉』とかがエポックメイキングな例です。やっぱりドストエフスキーから続く系譜ですよね。犯罪っていうのも人間の非常事態だし、恋愛も人間の非常事態だし。常と異なる心の持ちようというものが描けるのがそうしたテーマの話なんですよね。純文学的なテーマとして書けて、なおかつ売れる。その頃から、恋愛のヒットは漫画作品になったの。『君に届け』とか『アオハライド』みたいに。映画化されるものの原作が小説から漫画になっていった。恋愛は求められているけれど、小説のトレンドの主流ではもはやなくなった。だから最近になって天邪鬼的に、『愛のようだ』を書いたんですよ。

愛のようだ

長嶋 有(著)

リトル・モア
2015年11月20日 発売

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