会社にはこういうおじさんがいる。打ち上げなどで、ついでに呼ばれただけなのに、さも高い立場から見守っていたかのような口ぶりで挨拶を長々としたり、会社の商品などを話題にしたニュース記事のリンクを貼って「ついに出ました」と、さも自分が関わっているかのようにFacebookに書いちゃうひとだ。他人の成果のうえに勝手に立って、見栄を張るのである(世に言う「アレは俺がやった」=「アレオレ詐欺」である)。
途中から参加したくせに、ハレの日にちゃっかり登壇
会社とはおじさん同士の嫉妬の世界である。「なんであいつが」「おれのほうが」……そんな嫉妬と背中合わせに見栄がある。こうしたおじさんたちの生態が凝縮しているのが、大西康之『東芝 原子力敗戦』や大鹿靖明『東芝の悲劇』、児玉博『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅』といった、昨今の東芝をめぐるノンフィクションだ。東芝は粉飾決算により「サザエさん」のスポンサーを降りなければならないほど経営が傾くのだが、これらには歴代社長たちがいかにして会社をダメにしていったかが克明に書かれる。
たとえば西室泰三(1996-2000年に社長)。昔を知るかつての部下は西室をこう評している。「自分では仕事をしない。他人がやった仕事を取り上げて自分の手柄にしてしまう。しかも、仕事をしたその人を追い出してしまうところがある」と。たとえば常務時代、他社との折衝のすえにDVDの規格統一が果たされた記者会見に、交渉に途中から入ったにもかかわらず、そのハレの場に西室はちゃっかり登壇するのであった(『東芝の悲劇』)。
周囲や世間に得意げな顔をしたい。西室は社長になっても変わることなく、競合のソニー・出井伸之への対抗心もあって、マスコミを通じて自分を対外的に売り込んでいき(『東芝の悲劇』)、その甲斐あってか、経団連副会長に就くなどして「肩書コレクター」の異名を取るまでになる。……新社会人の皆さんも、うっかり会社関係のひとたちとFacebookでつながろうものならば、小さな「西室社長」おじさんの生態をみるのに事欠かないだろう。
会社では「もの」ではなく「数字」をつくるおじさんが出世する
おじさんたちは出世という見栄や保身のために「数字」をつくるのに躍起となる。そもそも会社では「もの」でなく、「数字」をつくれる者が上にいく。自動車そのものを作る者よりも○○万台といった数字を作る者である。「もの」より「数字」、これが一線を超えると会計ルールの裏をかいて不正会計を引き起こす。あるいは数字を必達のものとしてパワハラの温床となり、上から下へ、そのまた下へと数字の押し付けが起きていき、若い者を苦しめる。