何でもかんでも鉄道に結びつけて話をすると、「これだから鉄道ファンは……」と言われそうである。けれど、さすがに今回ばかりは少しばかり語ってもいいだろう。4月9日に発表された紙幣の刷新。そこで渋沢栄一が新しい1万円札の肖像になることが明らかになったのである。

 渋沢栄一の事績や人物像についてはほうぼうで語られているのでここで詳しくは触れない。簡単に言えば、埼玉の豪農の家に生まれて一橋家に仕え、幕臣を経て明治時代には第一国立銀行など500以上もの会社の設立に関わって実業界の“ドン”として活躍した偉人である。で、ここで鉄道ファンとして取り上げたいのが、渋沢の起こした“500以上の会社”について。その中には、実に多くの鉄道会社が含まれているのだ。

1840年生まれ、1931年に91歳で生涯を閉じた渋沢栄一 ©文藝春秋

北海道から九州まで「私鉄」を作りまくる

 まず第一に渋沢が関わった鉄道会社として取り上げたいのは、日本鉄道という会社。日本鉄道は1881年に設立された日本初の私鉄事業者である。今では存在しないのでピンと来ないかもしれないが、現在の東北本線や高崎線、さらには山手線の一部までを建設、運営していた。昨今の“私鉄”というと、いくら大手であっても特定の地方で路線網を広げる程度。それが日本鉄道は関東から東北にかけての実に広い範囲に鉄道を走らせていたというのだから驚きである。そしてその仕掛け人のひとりが、渋沢栄一だったのだ。

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日本鉄道時代の池袋駅

 さらに渋沢はこの日本鉄道を皮切りに、現在の日本の鉄道網の基礎となった多くの私鉄事業者の設立に関わっている。北海道では北海道炭礦鉄道や北海道鉄道、関東では現在の日光線にあたる日光鉄道、両毛線の両毛鉄道、さらには筑豊本線の筑豊鉄道、参宮線の参宮鉄道、身延線の富士身延鉄道……。

 もう手当たり次第といった具合である。どうしてこれだけ多くの鉄道会社設立に関わったのかというと、渋沢本人が鉄道の有用性に着目したという慧眼もあろうが当時の時代背景も関わっている。

山手線の一部も日本鉄道が敷設したものだった ©鼠入昌史