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父と娘の禁忌(タブー)の存在

――別のところに、というのはモンテとウィロー、つまり父と娘の関係ですね?

クレール・ドゥニ 父と娘のタブー、これはほとんど神話的なタブーです。ギリシャ悲劇のようなものです。この映画では、赤ちゃんは父の愛に包まれて育ち、女性として成長します。ただしこの世界には他に誰もいない、彼女以外には父親しか存在しません。彼女が「子犬を飼いたかったのに」と言ったときでさえ、父は拒絶します。あたかも自分たちふたりだけで完璧な世界がつくられている、というかのように。タブーは存在しているとも存在していないとも言えます。描写はされないけれど、その考えは示されます。ふたりのタブーが始まるようなシーンがひとつありますね。モンテがベッドで目覚めるとウィローが自分にくっついて寝ていることに気づくシーンです。「お前はもう大きくなりすぎた、自分のベッドへ帰れ」と言われてウィローはしぶしぶベッドに帰りますが、そこで彼女が初潮を迎えていることがわかります。そして彼女は「若いときはならず者だったくせに」と父に向かって言うけれど、モンテは彼女を怒ることができない。もう一緒には寝られないということを、彼女に納得させるのは難しい。だからモンテは「君は僕のクレイジーガールだ」と答えます。

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――モンテとウィローが乗った宇宙船は、やがてブラックホールへと向かっていきます。最後、モンテが「Shall we?」と呼びかけると、ウィローは力強く「Yes」と答えますね。その後ふたりがどうなるのか、どこへ行くのか、映画は描いていません。ここには奇妙な緊張感が漂っています。あのラストシーンは、この後ふたりの間にあったタブーが破られること、つまり近親相姦的な関係に到ることを示唆しているのでしょうか。

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クレール・ドゥニ 彼らは無限の場に到達するわけです。それが何なのか、私にもわかりません。ブラックホールがあること、そのなかにはシンギュラリティ(技術的特異点)と呼ばれる場所があることも知られています。それは時間と空間の概念が消える場所であり、そこには無限が広がっています。その無限とはふたりの愛の無限なのか。それともふたりの消滅の無限なのか。何か人間の生命よりも強いものであるのはたしかです。「Shall we?」「Yes.」と言ってふたりが乗り込んでいくのは、こうしたタブーの中に、ということかもしれません。つまり彼らは、人間がこれまでしたことのないタブーに挑むのです。

 ウィロー役を演じた女優(ジェシー・ロス)は、撮影時まだ16歳にもなっていませんでした。ですから映画のなかで父と娘の間の近親相姦のセックスシーンを描くとか、そういうタブーを実際に見せるだなんて、私には考えることさえできませんでした。この女優はまだセックスシーンを演じる年齢ではありません。それに無限というものは、単なる男女間の性関係よりもずっと複雑で素晴らしいものです。ほとんど抽象的なものです。ですからこのふたりが何をするのかわからないままに置いておくほうが重要だと思ったのです。