――実は本作を見ていて、リドリー・スコット監督の『オデッセイ』(2015年)を思い浮かべたのです。ロバート・パティンソンたちが宇宙船のなかで野菜を育ててそれを食料にするシーンと、『オデッセイ』でマット・デイモンがじゃがいもを栽培するシーンを重ね合わせてしまったのですが、監督にとって、そうした既存の映画のイメージの影響はないということでしょうか?
クレール・ドゥニ もちろんその映画のことをまったく考えなかったわけではありません。けれど私たちの映画のシナリオの方が、リドリー・スコットの映画よりも先にできあがっていました。リドリー・スコットの映画の舞台は、火星のコロニーです。そこではどうやって生きるか考えなければいけませんから、野菜をつくったりするのは当然です。
一方、私たちの脚本のほうは、古くからある考え方、私が科学書のなかで読んだ考えに基づいています。私の映画が描くのは、火星よりも遥か遠い太陽系の外。こんなに遠いところに行くと、人間は何か庭園のようなものを再現しないと狂ってしまうと科学書には書いてありました。長い宇宙での旅においては、すべてがリサイクルされてしまい新しく生えてくるものはない。そういう状態では人生を構築することが不可能になる。ですから何か地球のルーツを思わせるもの、たとえば庭園をつくりだすことが必要なのです。実際に、70年代の『サイレント・ランニング』(ダグラス・トランブル、1972年)というアメリカ映画のなかで、そうした描写が出てきます。
今日では、『オデッセイ』はもはやSFではなくなっていると思います。火星に行く計画はすでに人類によって構想されていて、近い将来実現するはずだからです。それは6年ほどかかる旅になるようです。火星への旅はいまや単なる科学計画なんです。一方、太陽系の外に出て太陽系以外の宇宙を見ること、まったく堆肥がないところで暮らすこと、それはまだSFのプロジェクトのままであり続けています。誰もブラックホールを見たこともなければ、近づいたこともないからです。人間がもう帰ってくることがない永遠の旅に出る方法はまだ見つかっていません。
――人間が現実にはたどり着けない場所や、見ることができないものを描くことが、SF映画ではもっとも重要なのでしょうか。
クレール・ドゥニ そうですね。とはいっても、天文物理学の知識は急速に進歩しています。現在、アメリカの小さな探査船が一基、太陽系の外に出て、宇宙が何でできているのかを今調べているところです。ただし、そこに行くまでの旅には時間が長くかかり、再生可能な燃料が必要となります。私自身は科学者ではありませんが、映画をつくるために天文物理学者の授業を聞きに行きました。人間は、宇宙が何で構成されているのかの5%くらいはすでに知識を持っているそうです。ブラックホールの存在も、恒星がどんどん年をとっていることもわかっています。でも言い換えれば、まだ95%も知らないことがあるわけです。それは本当に素晴らしいことだと思います。(注:このインタビューの後、ブラックホールの撮影成功のニュースが報道された)