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家族問題の第一人者が読み解く『ダンシング・マザー』

斎藤 ぼくは、この本、土曜の晩から読み始めて、日曜の夜明けに読み終わったんです。たまたま何もない日曜日だったので、ゆっくり寝られました(笑)。感動的だった。今回は、『ファザーファッカー』と同じ家庭内の性的虐待の題材を、娘から母親に視点を移したことで、より見えてくることがある。

 義父の孝は、あの家では竜宮城の浦島太郎です。要するに、タイやヒラメが踊ってくれるから、ずっと幻想の中で心地よさに酔っていられる。そのうちに、本宅に帰れなくなった。お母さんが優しすぎるから、どんどん駄目になったんですね。そして、あなた自身のモデルになった少女には、その全体像がはっきりみえている。

 カッサンドラ症候群という言葉があります。アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者の不調を指す言葉として使われているけど、本来はこういう少女の場合に使ったほうがいい、と私は思います。

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斎藤学氏さん ©望月ふみ 協力:Bunkamura ドゥマゴ文学賞

 カッサンドラは、ギリシア神話に出てくるトロイの王女で、予知能力を持っているのに、呪いをかけられて、真実を言っても誰にも信じてもらえない不幸な女性です。最後は殺されてしまう。この物語をソポクレスは『エレクトラ』という芝居にしていますが、おそらくアテナイの市民は、これを家族劇として観たはずです。

 昔から、家庭というのは危なくて、殺す殺されるみたいなことがすぐ起きたんですよ。今でも、女性が殺人犯の場合、相手の5、6割はごく親密な夫だったり子供だったりする。

内田 そうなんですか!

斎藤 少なくとも、『ファザーファッカー』のときに調べたときはそうでした。申しわけないけど、あの作品は、私にとっては貴重な資料だったんです。

「もっと親や妹に愛情を持て」なぜ批判されたのか

内田 いやいや、それはもう、立派な誉め言葉です。あの作品が世にでたときに、「親に対してこんなこと書いていいのか」「もっと親や妹に愛情を持て」とかさんざん批判されたんです。それに対して、私は「母にも言い分はあるでしょうけど、記憶しているかぎりでは事実です」と答えていたのですが、なぜ叱られなければいけないのか、わからなかった。

斎藤 『ファザーファッカー』が書かれた頃は、性的虐待の被害者自身がその体験を語れるような環境ではなかった。私は、当事者の女性たちを探していました。あの頃、データ上では、日本の児童虐待は、多くが身体的、心理的虐待で、性虐待は3%と、世界的にみて突出して少なかった。そんなわけがないと思っていたんです。だから、堂々と自分の体験を書いたあの作品を、私はすごいと思った。しかも文学の言葉でしょう、文章が突き刺さってきたのです。

 母親の視点から書いた今度の『ダンシング・マザー』には、『ファザーファッカー』では読みとれなかったものが、「ああ、そうかもな」と納得する部分があったんです。あのお母さん、子供を産んでからの女性にはよくある姿なんです。外からきた男と、その家の子供はただでさえ合わない。危ないのは、自分が結ばれた相手ではなく、血が繋がっていない娘のほうに男の視線が移っていくケースです。なにより母親自身がそのことに気づいているのに阻止できないことです。まさに内田さんの小説にあるように。