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「社会」はしょせん教室という一つの箱の中だけだった

 自分の知らない世界や誰かが思い描いた夢の世界は広く、私のいた「社会」とはなんだったのだろうとすら思えた。宮崎駿さんの描く自然や動物を通して、人間以外の世界に目を向け「世界は広い」と実感できたのだ。高校生の私がこれまで見てきた「社会」はしょせん教室という一つの箱の中だけだった。この世はもっと広く、多様なものである。物語を通じて、ゆっくり時間をかけて自分の不登校経験を肯定することができた。

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 その本のカバー裏に「今度は君の声で読んで聞かせておくれ」と友人が書き残していたことに気づいたのは、大学生になってからだった。(その友人とは高校卒業以来一度も連絡を取っていない。連絡先も知らないのだ。)

学校に行かないという選択が肯定される時代へ

「不登校を助長している」として鎌倉市教育委員会がこのツイートの削除を検討したと明らかになったのは、投稿のわずか1日後だった。しかし市図書館側はこれを拒否。「一人でも多くの子どもの命を守りたいという真意からの投稿だった」と説明したことや、ツイッター上に好意的な反響が多数寄せられたことなどから、平成という時代がもう少しで終焉を迎える平成31年4月26日現在も、この投稿は削除されずにいる。

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 学校に行かないという選択は自分の命を守るため、子どもたちが皆持っている究極の生命維持装置だ。それを大人たちが否定し、敷かれたレールの上を強制的に走らせることは間接的な殺人とすら思える。鎌倉市図書館が発したこのツイートは積年の「休まない美学」を一蹴し、平成という時代を苦しむ子どもたちが「学校に行きたくない」と発言できる時代、そしてそれを大人たちが肯定できる時代へと変えるため、一石を投じた名言だと言える。

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