昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

平成元年の絶望と翌年の希望。今振り返りたい大洋ホエールズの明るい野球

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/05/08

 ここまで33試合を終えて11勝20敗2分け、最下位である。4月の中頃までは楽しかったよね。上茶谷君を見殺しにしたのと今永無援護の試合を勝っていれば今頃首位とか言ってさ。大和も伊藤光も横浜にすっかり馴染んだし、神里の男前っぷりは磨きがかかる一方。

 ……ってあれ? 今年引き分けなんてあったっけ?  と開いた新聞の日付を見れば、同じ「元年」でもなぜか平成元年5月28日。その紙面には前日、ホエールズがヤクルトに4-7で負けた事が記されている。同じく33試合を終えた令和元年の今日、5月7日時点のベイスターズの成績は12勝21敗。そう、古葉竹識政権が崩壊した平成元年と今年の成績は今のところほぼ同じなのだ。ホエールズとベイスターズにとって「元年」は鬼門か。

平成元年、チームリーダーの高木豊

とにかく暗かった平成元年のホエールズ

 平成元年33試合目の負け投手は中山裕章で、ここまで5敗5セーブ。開幕から30試合ちょっとで守護神がすでに5敗ってのも相当だが、この年の中山は前年オールリリーフの70試合登板で投球回数142.1という酷使(1試合平均2イニング!)の影響で精彩を欠き、投げる度に試合をひっくり返されていた。さらには前年1番定着で打率.293。山下大ちゃんを超える遊撃手連続無失策記録を継続中だった高橋雅裕は、開幕早々記録が途切れるとその後もエラーを連発し、打つ方も前年の開眼がウソのように低迷。大洋漁業のCMで“パッ缶 好きですか?”“パッ缶 好きですよ”と迷演技を見せた若き2人の不調に歩を合わせるかの如く、クジラは深い海の底に沈んでいた。

 平成元年のホエールズはとにかく暗かった。クロマティにサヨナラ弾を浴びて東京ドーム12連敗を喫した後にはキャッチャー市川が涙を流し、チーム10連敗&巨人戦18連敗の時はチームリーダー高木豊がスタジアムのベンチで座りこんだまま泣きじゃくった。当時の価値観的にプロ野球選手が敗戦後に泣くのは有り無しで言うと「無し」。同情どころか批判の声が挙がった。そのユタカとポンセはまさかの低打率にあえぎ、遠藤はアキレス腱断裂からいまだ復活せず、10勝投手ゼロ&2桁敗戦5人の投壊ぶり。頼みの綱はパチョレックと、タイプじゃないのに4番に座り球宴出場も果たした元祖番長こと山崎賢一。6月頃からは古葉監督の途中休養が取りざたされる始末で、何とか最後まで指揮は執ったもののシーズン中に辞任発表。最終戦終了後にはナインが惜別の胴上げを、と集まるも「胴上げは優勝した監督がされるもの」と本人がキッパリ拒否。まさにどん底を象徴する出来事だった。

 古葉さんですらどうにもできなかったのに、次の監督誰がやるのよ? ファンがヤキモキしていた頃、巨人二軍監督でイキのいい若手を育てまくっていた須藤豊が突如監督候補に浮上する。須藤と言えば昭和55〜56年に大洋の二軍監督を務め、若手時代の高木豊や市川らを鍛えた指導者。しかし当時は巨人のファームを4連覇させていた頃で「まさか?」という感じである。そのあたりの経緯がホエールズ担当記者グループによる『須藤豊の大洋再建術』(エーブイエス 平成3年刊)に詳しく書かれているのだが、須藤は巨人の正力亨オーナーに大洋監督就任の挨拶に向かったところ「巨人にいた方が幸せでいられるよ」と嫌味半分で言われ、出身地である土佐のいごっそう魂に火が付いたという。打倒巨人、そして負け犬根性の払拭を。須藤はホエールズ立て直しのため奮闘する。

『須藤豊の大洋再建術』(エーブイエス 平成3年刊) ©黒田創