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平成元年の絶望と翌年の希望。今振り返りたい大洋ホエールズの明るい野球

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/05/08
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ホエールズを変えた「AFT野球」

 昭和50年に長嶋監督と対立する形で巨人コーチを辞した須藤は、その後4年間にわたって鉄工所に勤務している。サラリーマン生活の中で「明るく、楽しく、夢を持て」との信念を持つに至った須藤は球界復帰後、これをアグレッシブ(気迫)、ファンダメンタル(基本)、テクニック(技術)と置き換え、それぞれの頭文字をとった「AFT野球」の浸透に全力を注ぐ。大洋監督就任後は手始めに何かと巨人に噛みつくことで自ら気迫を見せ、ナインの闘争心を煽ったのだ。

巨人二軍監督時代の須藤豊 ©文藝春秋

 一方で須藤はナインとの対話を重視した。ルーキー佐々木主浩の卒業試験を気にかけ、斉藤明夫には「俺はわからんことだらけだから教えてくれ」とアドバイスを求める。常に高いレベルを求められて萎縮し、古葉アレルギーに罹っていた選手のハートを掴むにはこれで十分だった。キャンプ終盤には「自分たちの応援スタイルを作ろう。採用者には監督賞を出す」と宣言。これは当時近鉄ベンチなどで流行っていた得点シーンでのお祭り音頭に倣ったもので、前の年どんよりと沈んでいた選手たちはノリノリになる。選考の末清水義之考案の「もういっちょ音頭」が採用され、大洋ベンチにはしばらくの間「もういっちょう!」の声が響き渡ったという。

 古葉監督と合わなかったベテラン加藤博一や、一度は引退を決意した田代が翻意して共に代打で活躍。遠藤は抑え転向で見事にカムバック賞。須藤の高知商の後輩である中山はエースの期待をかけられ開幕投手に抜擢。清水に横谷、宮里と若手の起用もピタリとハマり、チームは平成2年の開幕から巨人と首位争いを演じた。6月5日には14連敗を喫していた巨人・斎藤雅樹から9回土壇場で高木豊が逆転2ランを放つなど、大洋はセの台風の目となる。夏場以降息切れして最終的には64勝66敗3分け。惜しくも勝率5割は切ったものの念願のAクラス入りを果たし、セを盛り上げた須藤にはリーグ特別功労賞が送られた。最下位に沈んだ前年から戦力的な上積みがほぼなくても、ちょっとしたきっかけでチームは大きく変貌を遂げたのである。

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 平成初期と令和元年。この30年の間に野球はいろんな意味で変わった。昭和の価値観が色濃く残っていた須藤監督時代のホエールズのエピソードを今改めて読むとその違いを否応なしに感じてしまうが、苦しい時ほど「もういっちょう!」的なノリと気迫がチームの流れを変えたりするもの。色々と言われるラミレス監督だけど、この何試合か円陣を組んでチームを鼓舞しているのはその部分への期待なはず。現状は正直辛い。でも今こそAFTの精神で明るく行こうよ、ベイスターズ!

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