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1988年、ホークス福岡移転 地元アナが振り返る“歴史が変わったあの時”

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/05/18
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「福岡は野球という文化のゆりかご」

 ダイエーは81年には九州のスーパーマーケットチェーンを傘下に収め、福岡市天神にショッパーズプラザという大型店も構えていたが、地元財界からは変わらず『よそ者』扱いされていた。福岡市が整備した埋立て地を手にするには、行政や財界の了承と後押しが欠かせない。つまり、真に九州財界の高い敷居を跨ぎ、その一員となるべく綿密に計画された『奥の手』が球団移転だったのだ。いまや常勝チームとしてパ・リーグに君臨するホークスだが、当時は買収して博多出張の手土産にする菓子折程度の存在だったと言える。

 あれから30年。時代は平成から令和へと遷り変わった。福岡のスポーツで見ればそれはホークスが歩んだ道だ。母体の南海は関西では超人気球団の阪神や強豪近鉄の陰に隠れるような弱小球団だったが、福岡移転後は一身に注目を集めた。また王貞治監督(現会長)の就任と選手の先頭に立った小久保裕紀さんの存在が現場を一変させた。「お前らなにをやっているんだ。おれたちは絶対に勝つんだ」と鼓舞し続けた王監督。ひたすら練習する姿で後に続く松中信彦さんや城島健司さんらを牽引した小久保さん。それでも初優勝するまで10年かかった。球界再編という大変動で誕生した東北楽天が初優勝したのが創設9年目と合わせ考えると随分時間がかかったように思う。だが、その間に醸成された思想や組織が常勝軍団の礎となっている。

王監督とダイエーホークス ©文藝春秋

 かつて球団幹部がこんな話をした。

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「ライオンズという遺伝子を持つ福岡は野球という文化のゆりかご。ファンのために日々の出来事を新聞が伝え、地元局は多くの試合を中継することで視聴者を毎日テレビという球場へ連れてくる。皆さんの仕事は報道だが同時にメセナ(企業による芸術や文化の援護活動)でもあるんです」いま振り返れば至言だと思う。

 あの当時、経済担当として早く球団対応をと提出した企画書が局の経営幹部の目に留り、「言い出しっぺのお前がやれ」という社長の一言でスポーツアナウンサー人生が始まった。ホークス移転がなかったら、私の人生は果たしてどうなっていたか……皆目見当もつかない。

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