ベイスターズにはずっと左腕がいなかった。先発左腕がいなかった。「今永登場より、東の快投より、あの時の石田だ」「ナゴヤドームで完投した時、俺泣いたもの」ベイスターズをよく知る友人は何度もそう話す。「そうだね」と私も言った。2015年8月6日、プロ初勝利の石田健大。あの日、ベイスターズが喉から手が出るほど欲しかった左腕先発がそこにいた。よくよく調べたら、完投じゃなくて8回1失点だった。「完投じゃなかったね」「そうか」「記憶ってかすれるもんだね」。

 去年、苦しみ続けた今永昇太が今年完全復調の兆しを見せている。「4者連続押し出し四球」というセ・リーグタイ記録を叩き出すなど地獄を見た濱口遥大も、今年は開き直りピッチングでここまで完封2つ。ケガで一軍登板が遅れていた東克樹にも先日ようやく勝ちがついた。「ベイスターズの左腕トリオ」なんていう記事がメディアに踊る。2年連続開幕投手を務めた石田は、今その先発ローテーションの中にはいない。

2017年、2018年と2年連続で開幕投手を務めた石田健大 ©文藝春秋

石田健大は何が何でも生き延びる「狼王ロボ」だ

 石田健大は、ロボだ。

ADVERTISEMENT

『ファーブル昆虫記』では断然フンコロガシだったけど、『シートン動物記』の中では『狼王ロボ』が一番好きだった。もちろんロボットじゃなくて、スペイン語で「lobo」は狼。ニューメキシコ州の広大な牧草地、カランパに君臨する狼のリーダー「ロボ」は「悪魔に知性を授けられた」と言われるほど賢い。おそらく私の数万倍賢い。『7匹の子ヤギ』や『赤ずきんちゃん』に登場する狼とは似ても似つかない、誇り高き野生のキング。

 切れ長の瞳は鋭く、少し頰は紅潮している。精悍な顔立ちだから本当に狼のように見える。同じ年のドラフト1位、山﨑康晃の明るいキャラの隣にいると、その独特の哀愁が際立っていた。出身大学である法政の先輩、三嶋との対談(※もちろん横浜ウオーカー)で「本当に優等生。悪いことはしないし、門限守るし」「絶対に何か隠しているだろうと思ってたんですけど、周囲からもまったく悪い噂を聞いたことがない。マジでいい子です」と絶賛され、ベイスターズをよく知る友人が取材をした感想も「石田くんはとてもいい子」。

『シートン動物記』の中に出てくる『狼王ロボ』 ©西澤千央

 そのきっちりした性格ゆえか、「勝つ」ためのルーティンも数知れずだという。先発時代は、「登板前日には必ずカレー」「前日に着るパジャマもいつも同じもの」「当日の練習着まで同じ」。マウンドの上でもいつも特有の所作をする。それが投球のテンポを崩していると叩かれた時もあった。どちらかといえば立ち上がりが悪く、援護されたそのすぐ後に打ち込まれる印象も強い。石田がランナーを背負った途端、何かが急に狂い始めるような、世界が逆方向に回っていくようなあの不穏な感じ。生真面目さはすぐさまプレッシャーと手を組み、彼をさらに「慎重」という結界の中に閉じ込めてしまうのかもしれない。

 でも、そういうところもロボなのだ。野生とは「ワイルド」でも「無鉄砲」でもない、野生とは「何が何でも生き延びる」ということ。その首に何千ドルもかけられていたというロボは、方々に仕組まれたありとあらゆる毒に気づき、自分が仕留めたエサしか仲間に食べさせない。すごい。私なら毒エサで即死だ。そして、それがどんなに遠くであっても、人間の影を見たらその場を逃げ出す。なぜなら人間は銃を持っているから。ただ闇雲に戦うことだけが、仲間を守り己を守ることではないと、ロボは本能で分かっていたに違いない。たとえ失点しても、ゲームは壊さない。6回7回を投げきる。石田が「闇雲」と引き換えに手に入れたもの。それは2017年、2018年、2年連続で大事な開幕試合を任されたことが物語っている。慎重がもたらす、安定感だ。