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昭和天皇「最後の侍従」が27冊の日記に書き残した「代替わり儀式」への違和感と雅子さまが「嫁がれた日」

継承儀式終え、美智子さまは疲労からか体調悪化も

2019/04/29

 30年余りにわたる「平成」が幕を下ろし、「令和」が始まろうとしている。敗戦を経験し激動だった「昭和」がさらに遠くなろうとしている。そんな折りに昭和天皇の一侍従だった故小林忍氏の日記が見つかり、共同通信が昨年8月、特報した。このたび「昭和天皇 最後の侍従日記」として新書版にまとまり、世に出すことになった。小林氏は人事院から50歳の時に宮内庁に異動になり、昭和49(1974)年から平成12(2000)年までの宮中での出来事を27冊の日記に活写していた。

〈仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる〉(昭和62年4月7日)

 昭和天皇が晩年まで大戦について苦悩を深めている心情や、「オク」と呼ばれる昭和天皇の住まいの吹上御所での日常生活の様子が克明につづられている。宮内庁が編集した「昭和天皇実録」にも収められていない貴重な「昭和後半史」だ。魅力はそれだけではない。昭和から平成への天皇代替わり儀式の内情も詳細に記され、私たちが追体験できるのだ。

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天皇明仁・皇后美智子さま 即位礼正殿の儀「お言葉」 宮内庁提供

 政教分離を規定した新憲法下で初めて執り行われた諸儀式を巡っては、違憲論議がかまびすしかった。憲法や皇室典範には、皇位継承の儀式の在り方に関する規定はなく手探りの代替わりだったが、重要儀式はいずれも国費で賄われたからだ。政府は今回、昭和から平成への代替わりの例を踏襲することを早々に決め、こうした違憲議論を封じた。平成から令和への皇位継承という歴史的な時期に、そんな視点も念頭に置きながら「小林日記」の記述を紹介したい。

「今後の先例になることを恐れる」

 継承儀式の主な舞台は、皇居内にある宮殿だ。ハイライトは今回も秋に執り行う「即位礼正殿(せいでん)の儀」。新天皇が「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」という天皇が重要祭祀で着る古装束に身をまとい、「高御座(たかみくら)」という玉座から見下ろす形で、国内外の賓客に即位を公に告げる儀式だ。高御座は、神によって天皇の地位が与えられたという神話に由来するとされる高さ6.5メートル、重さ8トンの台だ。束帯(そくたい)という古装束を身にまとって参列した小林氏は、厳しくこう指摘した。

〈諸役は古風ないでたち、両陛下も同様、高御座、御帳台も同様。それに対し、松の間に候する者のうち三権の長のみは燕尾服・勲章という現代の服装。宮殿全体は現代調。全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典〉〈新憲法の下、松の間のまゝ全員燕尾服、ローブデコルテで行えばすむこと。数十億円の費用をかけることもなくて終る。新憲法下初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる〉(平成2年11月12日)

1990年11月12日の「小林忍侍従日記」。天皇陛下の「即位礼正殿の儀」を巡り、「ちぐはぐな舞台装置」と記されている ©共同通信社

 御帳台(みちょうだい)は、皇后がこの儀式の際に立つ高さ5メートルを超す台だ。即位礼は宗教色が強く、皇位継承の重要祭祀「大嘗祭(だいじょうさい)」とともに各地で違憲訴訟の対象になった。一方保守派も「皇室の伝統」にこだわった。当時の海部俊樹首相が、かつて私の取材に「明治以降の伝統に墨守する保守派の意向と、新憲法の理念との板挟みだった。首相も『古装束を着て』と言われたが断った」とジレンマを明かしている。今回政府は、代替わり儀式を前例踏襲とすることを決めたが、小林氏の「先例になることを恐れる」という懸念が的中した形だ。