「新しく天皇になる方は大丈夫だろうか」
令和の御代替わりが近づくにつれてこんな声が聞こえるようになった。
平成16年の「人格否定発言」や、雅子妃殿下がご病気でたびたびご公務を欠席されたことなどから、徳仁皇太子が振り回されているかのイメージが浮かぶのだろう。あるいは、平成の天皇が精力的に活動されているのに対し、なんとなく地味すぎて行動がよく見えないこともあるのかもしれない。
だが、私はまったく危惧していない。今では想像もつかないだろうが、平成の天皇が皇太子だった頃も同じように言われたものだ。
“マイホームパパ”と揶揄されていた天皇
かつてのメディアが皇室を取り上げるといえば美智子妃殿下のことだった。タイトルに「皇太子御一家」とあっても、主役は「美智子さん」である。毎週のように飽きるほど掲載しても雑誌の部数は落ちなかった。美智子妃はそれほど大スターだったのだ。
明仁皇太子といえば、どこへ行くにもカメラを下げ、美しい美智子妃や浩宮さま、礼宮さまらを実に楽しそうに撮影されていた。その光景は、モーレツに働くサラリーマンが、子供たちの待っている家に帰るとマイホームパパに変わる姿に重なった。
「浩宮さまは昭和天皇に似てご立派だ。隔世遺伝ではないか」といったことがまことしやかに囁かれたのも、皇太子の存在感が薄かったからだろう。その皇太子が践祚して天皇になられたが、平成の御代替わりを、「なんだか頼りないなぁ」と感じたのは私だけではなかったはずである。しかし、30年経った今、そう思う人はいないだろう。
戦後、昭和天皇は象徴天皇になったが、ある意味ではまだ“大元帥”だった。しかし平成の天皇は、即位した当時こそ“マイホームパパ”と揶揄されたこともあったが、見事に平成流の象徴天皇像を完成させた。その象徴天皇がいかにして創られていったのか、6つの視点から追ったのが拙著『天皇の憂鬱』である。