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「訂正してほしい」とテレビ局に入った1本の電話

「皇室日記」(日本テレビ)の元プロデューサー・入江和子さんはこんなことを語っている。昭和26年に明仁皇太子が学友らと山形の蔵王へスキーの練習に行ったエピソードを、平成21年の「皇室日記」で放送した時のことである。

「殿下が泊まられた温泉旅館の女将に取材すると、4泊されたとおっしゃったんです。お泊りになったことは確かでしたので、大丈夫と思い放送しましたが、放送後、宮内庁の侍従の方からご連絡をいただき、『旅館に泊まったのは1泊で、あとはランプしかない質素な山の家に泊まったので訂正してほしい』と。慌てて当時の山形新聞で調べたら、やはりそうでした。旅館に何泊もされて、殿下と学友たちがすき焼きを召し上がったという女将の話から、豪勢に過ごされた印象を与えてしまったことを、大変申し訳なく思います。もちろん翌週の放送で訂正しました」

 50年前のことでも間違いは正しておきたいという、「どう見せ、どう伝えるか」への天皇のこだわりを感じさせる。

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平成の象徴天皇像はテレビの時代とともに生み出された

宮内庁提供

 こうしたスタイルを決断したのは、もちろん天皇ご自身である。しかし、戦前は東宮仮御所の中で育てられ、学友以外に国民と交わることがなかった皇太子には、国民からどう見られるかという視点を持つことは容易でなかったはずだ。そこには国民から「見られる」ことを意識されていた美智子皇后の影響があったに違いない。実際、美智子皇后はご結婚当初から、障害のある方などと接するときは必ず同じ目線で話されていた。それを天皇は見習うべきだと思われたのだろう。同じようにされたのはその後だったという。

 そう考えると、平成の象徴天皇像は、テレビの時代と共に、二人三脚で生み出されたものだと言えるかもしれない。

令和の象徴天皇像はインターネットと共に

 だが、今世紀にはいると、テレビに代わってインターネットが時代を創り出すようになった。考えてみれば、徳仁皇太子と雅子さんが結婚されてわずか2年後に、Windows95が発売されてインターネット時代の幕が開けた。令和の象徴天皇像は、インターネット抜きには考えられない。

©共同通信社

 新天皇はそのことに気づかれているかどうかはわからない。ただ宮内庁といえば、ホームページに映像をアップしたのも平成21年とのんびりしたものである。それも情報発信というより資料提供の域を出ない。英国王室がツイッターで盛んに情報発信しているのに比べると雲泥の差である。

 だが、それほど心配することはないだろう。天皇は孤独であると同時に、何事も決定するのは天皇おひとりである。新しい象徴天皇像の誕生は、天皇の「ご覚悟」さえあればいい。聡明な皇太子のことである。ネット社会にふさわしい皇室の情報発信はどうあるべきか、きっと国民に応えてくれるはずだ。

「平成」から「令和」への御代替わりは、単に元号が変わるだけではない。これまでにない象徴天皇の誕生が予感されるのである。

©JMPA

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