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昭和天皇「最後の侍従」が27冊の日記に書き残した「代替わり儀式」への違和感と雅子さまが「嫁がれた日」

継承儀式終え、美智子さまは疲労からか体調悪化も

2019/04/29
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 秋篠宮家に長女眞子さまが生まれた2年後の平成5年6月、小林氏はたまたま赤坂御用地内の秋篠宮邸前を通る。〈妃殿下(注:紀子妃)がお子さん(注:眞子さま)をつれ運転手とお話ししておられたので、おじぎをした。全く普段着のスラックスにTシャツという姿で、最初は妃殿下とは気づかないほどだった〉(6月22日)。よちよち歩きとみられる眞子さまと紀子妃のほほえましい風景が頭に浮かぶ。

 平成皇室を襲ったバッシング報道は、皇太子妃結婚後の夏頃から激しくなる。美智子皇后が取り上げられたケースが多く、誕生日に合わせた祝賀行事があった10月20日に本人が倒れる。この日の記述は緊迫感に包まれている。〈意識も薄れていたが、間もなく回復されたが祝賀行事は御欠席で、天皇陛下のみ祝賀をお受けになった。皇后陛下は御昼食もおとりになって通常の御生活に戻られたが、ただお声は出るが言葉が出ない状態という〉。その後地方に明仁天皇と足を運んだのが愛媛、高知両県だった。小林氏は不安と期待を併せ持った心情を〈懸命に努めておいでの様子〉〈かなりお疲れではないか〉(11月10日)と書き残した。

皇后・美智子さま 即位の礼・賢所大前の儀 宮内庁提供

 美智子皇后はこの時の誕生日に合わせた宮内記者会への文書回答で「事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます」「事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません」と心情を打ち明けた。あれから26年。代替わりを前に、元側近はこう明かす。「あの逆境を天皇陛下と共に乗り越え、『平成皇室』は強くなった」

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 令和時代の皇室はどんな姿を見せてくれるのか、代替わりの宮中のあつれきにも触れた小林日記が、何かの視座を与えてくれるかもしれない。

小林忍氏 ©JMPA

昭和天皇 最後の侍従日記 (文春新書)

小林 忍

文藝春秋

2019年4月19日 発売

昭和天皇「最後の侍従」が27冊の日記に書き残した「代替わり儀式」への違和感と雅子さまが「嫁がれた日」

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