角川春樹氏が「この子だけ代えろ」と
――初めて会ったりえさんにはどんな印象を受けましたか?
菅原 まだ三井のリハウスのCMに出る前でしたので、その場で初めて見たわけです。当時、彼女は14歳でしたが、よくもまぁこんなに何色にも染まらず、よくぞ、14歳になるまでこんなにも透明感を保って育ってくれたものだと感激しました。「ああ、ここにいた、やっと出会えた」と思いました。会った瞬間に起用を決め「映画に出ない?」とすぐに言っていましたね。彼女には演技経験もなかったし、おそらく女優になりたいという気持ちもなかった。中学時代の思い出作りに映画に出ようという考えだったと思いますが、それが逆に良かった。作られた演技ではないものが引き出せたのですから。
ただ、その後で困ったことがありました。キャスティングを決めた後、角川社長に写真を見せて、「この子たちでいきます」と言ったのですが、角川社長が「いいんじゃないか。でもこの子だけ代えろ」と。それがりえでした。
――それは衝撃的ですね。
菅原 角川社長は、薬師丸ひろ子さんや原田知世さんを見つけ、映画も大ヒットさせた実力者。飛ぶ鳥を落とす勢いでもの凄い力を持っていた。でも私の中には、この映画の主人公は絶対にりえしかいないという確信がありました。1万2千人会ってやっと決めた子ですから。かなり角川社長にも強く言われましたが、「この子でいきます」と食い下がったら、「わかった。好きにやれ」と。だからなのか、当時は映画を撮ると角川書店から主演の子の写真集が出ていたのですが、りえの写真集は出ませんでした。
――実際、撮影ではどうでしたか?
菅原 撮影前に子供たちを連れて熱海で合宿をしました。修学旅行みたいですよね。発声練習をしたり、リハーサルをしたり、みんなでご飯を食べたりして、一緒に役作りをしていきました。ただ、りえは彼女なりに演技ができないもどかしさや、悔しさ、葛藤があったんでしょうね。ボロボロ泣いていた姿が印象的でした。それはそうですよね。やったことがないのですから。
ただ実際の撮影では一変しました。私は演出で「ここで泣いて」とか「怒って」とか指示はしません。「君たちがこういった状況に追い詰められたらどうする?」と問いかけて、その反応を待つ。その反応がりえは素晴らしく良かった。こちらが熱量を持ってぶつかっていくと、そのままスパーンと返ってくる。全身全霊で期待に応えてくれました。学級委員としてクラスの皆に囲まれて責め立てられるシーンが一番緊張していましたが、見事にやり遂げました。