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阪神タイガースの物語性は「東京コンプレックス」にあったーーイェール大学教授が分析した阪神の魅力 #2

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 阪神タイガースはわたしたちをなぜ惹きつけてやまないのか? 1990年代半ば、この謎に挑んだ文化人類学者がいました。イェール大学のウィリアム・ケリー名誉教授です。当時の研究をもとに『The Sportsworld of the Hanshin Tigers』を上梓したケリー教授が綴るタイガースの魅力とは。(全2回の2回目/#1へ戻る

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 2つ目に阪神を理解するための重要なのは、阪神と「ソープオペラ」というエンタメジャンル(※)の類似性だった。ソープオペラの最盛期はテレビ放送が主流だった数十年も前になるから、若い読者にとっては縁遠い言葉だろう。

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 ソープオペラとは毎日放映されるドラマシリーズで、日常生活や人間関係を描く。一話30分のものが多く、午後の時間帯に放映される。「ソープ」は放送中に洗剤や消臭剤の広告が挟まれることが多かったことに由来し、間接的に番組のメインの視聴者層を示す:朝の家事と夕方の家族の帰宅の間の午後に、娯楽で息抜きしたい“主婦たち”である。米国と英国で放映された人気ソープオペラは、40年や50年も放映が続いた。

※……昼に放送される通俗的なメロドラマ。日本における「昼ドラ」のようなもの。

©iStock.com

 ソープオペラにはジャンルとして3つの特徴がある。まず、ストーリーが複雑、かつ複数同時並行でバラバラに進み、矛盾したテーマや伏線が回収されない結末に陥りがちな点である。次に、読者の共感や怒りを呼ぶキャラクターが長期的に出演し、彼らの人間関係をめぐりプロットが展開される点である。最後に、露骨で、オペラのような感情の過剰さに特徴付けられるメロドラマが展開される点である。ソープオペラのキャラクターは(歌舞伎役者のように!)微妙な感情の機微を見せることはなく、代わりに大げさな表現を好む。

プロ野球が実質ソープオペラである理由

 スポーツ観戦、そしてその中でもプロ野球観戦はあらゆる側面において男性版ソープオペラだといえる。8カ月に渡るシーズン中ほぼ毎日試合が開催されるが、これはどのプロスポーツのそれよりも長い。

 リーグ対戦式は長期にわたるライバル意識を維持し、野球におけるさまざまな段階のキャリアが広く報道されることで(特に日本では、高校生の選手たちにも注目が注がれる)、登場人物は長期に渡って公共の衆目にさらされることになる。多くのソープオペラのように、野球はよく定義された、なじみのある、ほぼ“家庭的”な場所でおこなわれる:ダイヤモンドで、内野のまわりで、そして選手ベンチで、だ。試合はソープオペラと同様、感情を煽る音楽や、選手たちや審判の演出がかったジェスチャーでメリハリがつけられる。

 3つの点から、野球はある意味、ソープオペラよりもソープオペラらしいとわたしは思っている。野球におけるストーリーは無限にあり、互いに重なりあっている。 “わたしたちの”チームの勝敗に対して注ぎ込まれる感情はソープオペラ視聴者のそれよりも激しいし、ライバル間の勝敗は野球のほうがより明確だ。これだけのことがスタジアムのグラウンドで、テレビの報道で、そして日刊のスポーツ紙の大げさな報道で“上演”されているのだ。

阪神はなぜ豊かな物語性を持ち得たか?

 日本のすべてのプロ野球チームが「スポーツワールド」の中心におり、ソープオペラと同様の性質をもっている。しかし、わたしが阪神のスポーツワールドを何年もかけて研究し、学んだことは、阪神の「スポーツワールド」がもっとも複雑であること、そして阪神が郡を抜いて豊かな物語性、感情、そして道徳観のミックスを提供していたということだ。これはなぜだろうか?