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 まず、阪神の「スポーツワールド」への関心は、「職場」としての関心でもあった、ということである。すべてのプロスポーツはスポーツ選手のいわば「職場」であり、雇用の条件やオーナーシップの形、マネージャーの権威や選手のキャリアは当事者はもちろん、メディアやファンにとって関心事だ。

 20世紀後半の日本では、「企業」――大勢の人間が働く組織――は男性か女性か、ホワイトカラーかブルーカラー、そしてピンクカラーかにかかわらず、日本における日常生活の中心を占める機関としてたち現れてきた。

 フロントオフィスや親会社に挟まれていた阪神は多くの人の「企業生活」を体現しており、共感できる存在だった。阪神はけっして強い権威やスムーズな労働環境といった日本企業の理想を体現していたわけではない。むしろ、オフィスでのライバル関係や政治、予測できず、ときには不合理な成功と逆境――簡単に言えば、ファンがサラリーマン生活で体験していた条件を阪神も体験していたから愛されたのである。阪神タイガースを何年もかけて追うことは、ロングランのサラリーマンマンガを追うことと似たような体験だったのだ!

甲子園球場 ©共同通信社

阪神が背負う東京コンプレックス

 阪神タイガースという名のソープオペラでは、2つ目の、同じくらい大事な要素がある。多くの関西人が抱えていた、東京へのコンプレックスを背負っていたのだ。大阪経済が日本の経済学者がいう“中小企業”によって特徴づけられるようになった理由に、60年代まで大阪に本部を置いていた大企業が東京に移ったことにある。

 20世紀の3分の2くらいまでは、東京と大阪は比較的同等の経済力と名誉を誇っていた。それまでも政府の省庁や有名大学、そして経済体な影響力を抱えていたのは首都である東京だったことは、疑いようもない。しかし、日本の中心が決定的に一極化したのは1960年代、東京オリンピックが開催され、新幹線が通り(新幹線は東京に“上り”、他の都市に“下る”)、そして日本のGDPや工業製品輸出が急上昇する時代になってからなのである。

 結果、大阪と関西は第二の都市に転落し、大阪のメンタリティも第二の都市のそれに転落することになった。1980年代、1990年代になると、セ・リーグ唯一の関西のチームとして、阪神タイガースはシーズン中、国家の中心に対する関西の反発心を一手に背負わされることになる。このテーマをとっても、阪神とそのスポーツワールドを分析することは、21世紀に日本を大きく変えた政治・経済における変化を如実に浮かび上がらせることがわかる。