21世紀初頭は阪神タイガースにとって分岐点だった。2003年、十数年ものフラストレーションのあと、感情表現豊かなマネージャー、星野仙一のもとでタイガースはセ・リーグで18年ぶりに優勝した。2005年に彼らはもう一度勝ち、その後3年にわたってAクラスだった。日本シリーズの優勝はまだだが、彼らはもはやかつての“ダメ虎”ではなくなった。一定して競争力のあるチームとなったのである(日本語ではこれを“常勝球団”という)。
阪神は健全で安定したチームになった
阪神タイガースの復活は、阪神と日本プロ野球に起こった大きな構造的変化の文脈にそったものだった。2004年に長年のオーナー、久万俊二郎が辞任し、親会社に新たなアプローチを試す自由が生まれた。フロントオフィスは再構成され、甲子園の大規模なリノベーションは歴史的な建築や雰囲気を残しつつも施設を大幅にアップグレードさせた。
そして、2006年、日本プロ野球でいくつかスキャンダルが起こっていた矢先に、阪神電鉄は関西での輸送において長年のライバルであった阪急と経営統合し、新しい共同持株会社を作ることになった。同じくらい大きな変化として挙げられるのは、私設応援団が日本野球機構に許可を受けた団体のみが活動できるようになったことと、スポーツ紙が急激に読者と影響力を失ったことである。
日本プロ野球自体も内部から批判を受け(オーナー会社間の不満や選手からの要求、落ちるテレビの視聴率等)、サッカーの人気の上昇や激しさを増す米国のメジャーリーグからの選手のリクルーティングにも脅かされている。驚くべき紆余曲折を経て、阪神タイガースはリーグ内でもっとも安定しており、健全に運営された収益をあげられるチームになってしまったのである!
2020年夏のオリンピックがもうすぐ訪れようとしているが、日本や米国の野球ファンは野球(とソフトボール)が2008年以来、正式種目に戻ることに喜んでいる。この出来事は明治から大正、昭和、平成と日本の中心にあり続けたこのスポーツの復興を象徴するものになるだろうか? 野球は令和の時代でも人気でありつづけるだろうか? 予測することは不可能だが、そうであるとすれば、阪神は今後も主要な役割を果たしていくに違いない。