阪神タイガースはわたしたちをなぜ惹きつけてやまないのか? 1990年代半ば、この謎に挑んだ文化人類学者がいました。イェール大学のウィリアム・ケリー名誉教授です。当時の研究をもとに『The Sportsworld of the Hanshin Tigers』を上梓したケリー教授が綴るタイガースの魅力とは。(全2回の1回目/#2へ続く)
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阪神タイガースから、日本野球について、何が読み取れるだろうか? わたしは日本を専門とする文化人類学者で、1971年以来、ほとんど毎年日本を訪れ、日本社会のさまざまな側面を研究してきた。そんなわたしが現代日本におけるスポーツの重要性に興味を持ち、プロ野球に焦点を当てようと考えたのは1990年半ばのことである。
日本野球について調査を始めようと思ったとき、わたしは東京を避けることにした。東京が首都であることと、東京を拠点にする読売ジャイアンツに関しては、すでに多くの(多くの場合質の高い)外国語の書き物が充実していたことなどからである。
代わりに、わたしは関西に拠点をかまえることにした。1990年半ばには、関西には3つの大きく異なるチームがあった。若きスタープレイヤー、イチローを抱え、日本シリーズチャンピオンにもなったオリックス・ブルーウェーブ。トップピッチャーだった野茂英雄のロサンゼルス・ドジャースへの移籍の傷がまだ癒えぬ、近鉄バファローズ。そして全国でもっとも有名なスタジアム、甲子園でプレイする阪神タイガースである。
3つのチームを平等に比較する本を構想したが……
わたしは当初、この3つのチームは、関西のファンの関心を奪い合っているのだろうと想像した。少し前の時代にニューヨーカーの関心が、ニューヨーク・ヤンキース、ニューヨーク・ジャイアンツ、ブルックリン・ドジャースの三者の間で割れていたように。だから、3つのチームを平等に比較する本を構想していた。
結局、その本は書かれることはなかった。それから10年、3つのチームを追ったけれども、関西の状況がニューヨークのそれと大きく違うことに気づくのにそう長くかからなかったからだ。
わたしは梅田駅の東、天六というスレた地域に小さなアパートを借りて、しょっちゅう地下鉄や電車で移動していた。毎朝わたしは天六で地下鉄に乗り、車両を見渡した。すると、乗客の半数はスポーツ紙を広げているのだった。これ自体がアメリカ人には強烈な光景だった。米国にはスポーツ紙は存在しないし、アメリカ人は自家用車で通勤することが多いので、スポーツの情報はラジオで聴くことが多いからだ。