不可解なくらい圧倒的だった阪神の存在感
同じくらい強烈だったのは、毎朝5紙すべてが第一面に阪神タイガースを取り上げていたことである。
試合に勝とうが負けようが、シーズンであろうがなかろうが、阪神は常に第一面に載っていた。もしオリックスや近鉄の近況を知りたかったら、3ページ目か4ページ目までめくって小さな記事に目を通さなければならない。当時オリックスのイチローはトリプルクラウンに近づいていたが、スポーツ紙は阪神の新庄剛志にページを割いていた。夕方になると、テレビでは阪神タイガースのあらゆる試合を見られたが、オリックスや近鉄の中継を見つけることには苦労した。
なぜ阪神がメディアとファンの関心を一手に浴びているのか? この質問にわたしは取り憑かれ、この質問によってこの本は書かれた。
阪神の圧倒的な存在をより不可解にしたのは、阪神の人気がどう見てもチームの実力によるようには思えないことだった。1983年から2003年の21年間、阪神は10回最下位を記録。優勝したのはたったの2回である。
「阪神の魅力」という民族誌学的な謎を説く2つのカギ
なぜ阪神はこうも魅力的なのか? この民族誌学的な謎を解明するため、わたしは2つのコンセプトを用いた。1つ目は、タイガースを「スポーツワールド」という概念で定義することである。
「スポーツワールド」とは、選手などの当事者の働きだけでなく、スポーツチームの周囲の人々や、組織の働きも含めて構成される小世界のことである。縦縞のユニフォームを着てフィールドに立つ9人の選手が阪神の中心にいるのは間違いないが、文化人類学者の目で見ると、阪神タイガースを構成するのはその大きなロースター(選手枠)、現場主義な指導スタッフ、過干渉なマネジメント、巨大でせんさく好きのメディア、関西中に散らばる数百万人の熱心で組織的なファンの総合的な働きなのである。
ここからは、「スポーツワールド」としての当時の阪神を分析していこう。阪神は日本野球機構の12チーム同様、巨大な選手枠を持つ――常に70人の選手を抱える――ため、選手の選抜やトレーニング、ケガのマネジメントや契約交渉、キャリアダイナミックスや引退後の展望といった要素が、チーム内での活躍や地位、補償の間に複雑かつときに矛盾したヒエラルキーを出現させた。さらに、チームとして必要な協調性と個人間の競争のあいだに修復しようのない緊張関係をもたらしていた。