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「学校のある日はいつも4時間目くらいで早退して、リンクに来て、練習。学校の友達と遊べなかったりするけれど、もう全然気にしてない。フィギュアスケートを選んで嫌になっちゃったことは、一度もありません」

 12歳の昌磨は、驚くほど強い口調で言った。彼と話していていつも思うのは、時に言いよどみつつ、恥じらいつつ、その言葉に嘘やごまかしがないということ。大人になったころ「インタビューでは必ず本当のことを話します」と語ってくれたのだが、小さなころからその姿勢は変わらなかった。

2015フィギュアスケートグランプリファイナルの前日練習での宇野昌磨 ©文藝春秋

 もうひとつ変わらないのが泣き虫ということ。

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「練習で泣いたりは……やっぱりまだ、しちゃいます(笑)。何度やってもジャンプが跳べないと、悔しくて泣いてしまう」

「覚えるの、本当に遅いんですよ」

 昌磨が習っているのは、大須のリンクを拠点に、伊藤みどり、浅田真央、村上佳菜子などを育ててきた山田満知子コーチとアシスタントの樋口美穂子コーチだ。トップスケーターは世界的選手になるまでに何度かコーチを替えるのが普通だが、昌磨は21歳の今までずっと替えていない。

「山田満知子先生は、すごく優しいし、おもしろい。でも、たまーに……厳しい先生です。全然ジャンプが跳べなくて、練習もちゃんとできないでいたら、『やる気がないんだったら、教えるのやめるよ!』ってきつく言われたことがあります。満知子先生の言葉で、なんとなく、ずっと心に残ってる言葉です。

 それから樋口美穂子先生には僕、振り付けが全然覚えられないので、いつも怒られてます。覚えるの、本当に遅いんですよ。プログラムをひとつ覚えるのに、みんなの3倍くらいはかかっちゃう。でも、1回覚えれば次の日にはちゃんと同じことができる。ただ、最初に振り付けてもらう日が、すごく大変なんです」

フィギュアスケートジャパンオープン2015で山田満知子コーチとリングで言葉を交わす宇野昌磨 ©文藝春秋

 昌磨にとって一番のヒーローは小さなころからずっと、髙橋大輔だという。

「髙橋くんはジャンプの質が高いけれど、ジャンプだけでなくステップもうまいし、スケーティングもうまい。そういうところがぜんぶ好きだし、僕もどんどん真似したいです。外国の選手では、プルシェンコ(ロシアのエフゲニー・プルシェンコ)さん。2人が出たバンクーバーオリンピックを見て、『僕もオリンピックに絶対出たい!』って思いました。行くとしたらやっぱり髙橋くんと一緒に! 髙橋くん、それまで選手を、やめないでほしいな……。『行けたら』じゃなくて絶対行きたいのは、2018年のオリンピックです」