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宇野昌磨が原石だった頃――小学6年生で語っていた「僕の一番いいところ」

「アクセルが跳べない時は、すごく辛い。昨日は更衣室で泣いてました」ー高校1年

2019/05/02

 まだ開催地も決まっていないオリンピックを夢見て、昌磨はどんな練習を積んでいたのだろうか。

「僕の一番のいいところは、たぶんジャンプでも、表現でもないと思う。これは浅田真央ちゃんをずっと見ていて、大切なんだなって気づいたことなんですけれど……練習でどんなにミスしても、『うまくいかないから、もう練習やる気ない!』って態度だけは、絶対見せないようにしてる。毎日最後まで、手を抜かないで練習して、試合でもおんなじことができるように。『あきらめないでがんばれる』、それが一応、僕のいいところ、かなあ。自分が満足する演技がしっかりできれば、勝たなくてもいいし、ドベ(最下位)でも全然いい、と思うんです」

■中学1年生(2010~11)

 2010年は、バンクーバー五輪で髙橋大輔がフィギュア日本男子史上初のメダリストになるという歴史的な年だった。

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 昌磨は全日本ノービス4年連続優勝を果たすものの、2年連続で特別枠で出場した全日本ジュニアでは4位。オフシーズンには右足首の疲労骨折もしてしまう。

2015フィギュアスケート グランプリファイナルの男子シングルショートプログラムで滑る宇野昌磨 ©文藝春秋

「僕は昔から、練習の休みはとらないタイプでした。でも疲労骨折したのは、オフもとらず、1日の練習も長すぎたからだったと思う。もう少しして身体が大きくなったら、練習で身体にかかる負担もきっと大きくなるし、もっと気をつけないといけないな」

 結果を残し続けるにはケガをしないことも重要。この時から平昌五輪まで、昌磨は一度もケガで試合を欠場しなかった。

 このころ、自らの闘争心について話してくれた。

「負けず嫌いなので、何か勝負してやらないと、やる気も出ないんです。ふだんの練習でも、どっちがジャンプのミスを少なくできるか、とか、同じリンクの友達と、競争! でも試合では……他の人にじゃなくて、『自分に』負けず嫌い。いい成績を残すことも大事だけれど、一番は自分が満足するいい演技をすること」

 面白かったのはこの続き。