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宇野昌磨が原石だった頃――小学6年生で語っていた「僕の一番いいところ」

「アクセルが跳べない時は、すごく辛い。昨日は更衣室で泣いてました」ー高校1年

2019/05/02
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「僕は『スケートでは』負けず嫌い。学校では人と競いたいって思うことがあまりなくて……。だから勉強ができないんですよ(笑)。どうしてスケートでだけ、そうなるのかなあ」

■中学2年生(2011~12)

 このシーズン、9月からのジュニアグランプリシリーズに初参戦した昌磨は2戦目で3位に入る。だが11月の全日本ジュニアでは、ジャンプで回転不足を4つもとられ5位。しかし、そのわずか1カ月後、初出場の全日本選手権ですべてのジャンプをクリアな回転で降り、中学2年にして9位。スタンディングオベーションを受けた。

「滑り終わった瞬間、『わあ、楽しく滑れたなあ』って思いました。みんなが僕にスタンディングオベーションしてくれた、そのことがうれしかったし、『ここでひとりで滑ってたんじゃないんだ。みんなが見ててくれたんだ!』って思えて、うれしかったな」

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2015世界フィギュアスケート国別対抗戦で羽生結弦と談笑する宇野昌磨 ©文藝春秋

 そして3月、初陣の世界ジュニアでは、ロストバゲージでスケート靴が翌日まで届かないというトラブルに見舞われたにもかかわらず10位に入った。

 初舞台から帰った昌磨が目を輝かせて語ったのは、自分の演技のことよりも、海外の「次元の違う選手たち」のことだった。スケートの試合をあまり見なかった彼が、テレビで海外の試合を見るようになった。

 この年、世界選手権では、髙橋大輔が2位、羽生結弦が3位に入る。さらに織田信成、小塚崇彦、町田樹、無良崇人もいて、日本の黄金時代が加速しつつあった。