たいち選手は大会の開催を知るやいなや、チャットソフトを使い、全生徒に参加の呼びかけをし、チームを結成しました。メンバーとなった生徒は、名前は見たことがあるものの、実際に会ったこともなく、ほとんど話もしたことがありませんでした。オンライン大会でグループ優勝し、決勝のオフライン大会を前にして、始めてメンバー全員と顔を合わせました。
つまり大会に参加しなければ、メンバーとは顔を合わせることなく卒業していったわけです。まあ、決勝大会まで出られたからこそ、オフラインで会えたわけですが、もし会うことがなかったとしてもそのこと自体に価値があります。仲間と一緒に戦うことも、ゲームを一緒にプレイしたことが重要で、それが高校での思い出となり、たいち選手の言葉に繋がっているのです。
オフライン大会の会場には、応援に駆けつけた生徒もいました。ニコニコ闘会議2019で来場者に書いてもらった寄せ書きの横断幕を持ってかけつけてくれた彼ら、彼女らにとっても、良き思い出となったことでしょう。
部活は高校生活において必須ではないかもしれませんが、高校生活を彩る要素のひとつであるわけです。通学する楽しみであったり、通学する目的にすらなり得るものです。その楽しみを、個人的な感情や考え方によって簡単に奪おうとするのは、本当に正しい行為なのでしょうか。
eスポーツ部だからこそ実現できる「部活の在り方」
一部の部活はプロスポーツ選手になるための登竜門として存在するものかも知れませんが、多くの部活は中高生でのみ体験できる貴重な経験の場として存在しているわけです。それが野球やサッカーであろうが、eスポーツであろうが、それは大きな問題ではありません。eスポーツ部がそこにあることで、貴重な青春の1ページに彩りが加えられるのであれば、大人たちは後押しこそすれ、障壁となることはすべきではないと考えます。
ゲームによって何が得られるのか、ただ遊んで終わるのではないかと懸念するよりも、同じゲームが好きな仲間と一緒に過ごす高校生活を提供してあげたほうが、高校生たちも遥かに大きなものを得られるのではないでしょうか。