「どうしてあんな変なこと言っちゃったんでしょうね」
バルセロナの後、彼女は大人たちに用心深く守られ、メディアに登場することは稀だった。私が彼女に初めてインタビューしたのは1996(平成8)年、アトランタ・オリンピックの代表に決まってからのことである。
いまでもその日のことをはっきりと覚えている。代表に選ばれた選手たちが一斉に取材に対応したのだが、アトランタでメダルが期待される選手に報道陣が集中し、バルセロナの金メダリストはぽつんと一人で椅子に座っていた。4年前の言葉について、彼女は微笑みながらこう振り返った。
「どうしてあんな変なこと言っちゃったんでしょうね」
それから、彼女はバルセロナからアトランタへの4年間の苦難を吐露し始めた。
金メダルの代償と呼ぶにはあまりに悲しい現実
朝、学校に行こうとしたら、ヘンな人に追いかけられて泣きながら家に帰ったこと。SMAPのコンサートに行って会場で紹介されたら、他の観客の人たちにブーイングされてしまった。その後、家にはカミソリが配達された。
金メダルの代償と呼ぶには、あまりに悲しい現実。それでも、彼女は泳ぎ続けた。
「金メダルを取ろうなんて思ってないんです。もう一度、バルセロナの時のように気持ちよく泳ぎたくって」
1996年のアトランタは、高校3年生。自分で行きたいと思ってつかんだ切符だった。
「世間の人にはつらさを分かってもらえないから仕方がないんですけど、ほんとうにもう一度オリンピックに出られるのが、ほんとうにうれしくって」
アトランタ・オリンピックでは決勝には進めなかったが、最後のレースのあと、彼女は微笑みながらプールから上がってきた。たぶん、満足だったのだと思う。