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「あの時以来、僕に付いていたムダなものはすべて落ちてしまった」

 活動自粛後、復帰アルバム『太陽』(2000年)をリリースするに際し新聞に掲載した広告で、槇原はあえて形式的な謝罪はせず、《あの時以来、僕に付いていたムダなものは全て落ちてしまいました。そして、自分の心の中にある「大切なもの」を集めて、このアルバムをつくりました》というメッセージをつづった(※8)。のちに彼は、このときの「ムダなものは全て落ちてしまった」という表現について《“良いことを歌おう”と思う気持ちとか、“人にされてうれしかったことなら、それをなんとか、他の誰かにもしたいな”って思うこととか、そういう単純なところをもっともっとできるように自分自身を洗濯していくというか。そういう意味でもあった》と説明している(※4)。SMAPから曲を依頼されたときも、売ろうなどという下心はなく、《自分の曲を求めてくださるのであれば、やろう》くらいにしか考えなかったという(※5)。

2000年に復帰した槇原。鈴木雅之のライブにゲスト出演したことも(2003年)

 こうした復帰後の槇原の姿勢は、上京の際、母親に告げた「歌で人の役に立ちたい」との言葉ともつながっている。だからといって、「大義名分やいい言葉を持ってくるだけでは曲は書けない」とも彼は言う。

《しみじみとした自分の実感がともなうからこそ、ディテールができていくわけです。だから、いつも思っているのは、「これを伝える」と大きく構えるんじゃなくて、聴いてくれた一人でも、「私のやっていたことは間違っていない」とか、「くじけそうになったけど諦めないでいよう」と、前を向いてくれたらいい。そう思ってもらえるような言葉を自分の中から探しているんです》(※5)

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 槇原の曲が共感を集め続けてきたのは、どん底に落ち込んだ体験も含め、やはり彼自身の実感が反映されているからだろう。冒頭にあげた曲に出てくる友人と同様、槇原も50歳になって「できることとできないこと」の見極めがついただろうか。そうだとして、そこからどんな曲が生まれるのか。デビュー前から圧倒的な世界観を持っていた彼だけに、それをいかに成熟させていくのか、今後も楽しみは尽きない。

広島カープファン。マツダスタジアムの始球式に登場したことも

※1 『地球音楽ライブラリー 槇原敬之』(TOKYO FM出版)
※2 坂本龍一・矢野顕子『デモ・テープⅠ』(ミディ)
※3 松野ひと実『槇原敬之の本。』(幻冬舎)
※4 小貫信昭『うたう槇原敬之』(ソニー・マガジンズ)
※5 『文藝春秋』2019年2月号
※6 『SOUND DESIGNER』2019年3月号
※7 『テレビブロス』2015年3月7日号
※8 『朝日新聞』2000年10月17日付