<自分がこんな年になる 日が来るなんて思わずに来た
自分はいつまでも元気で 何でも出来ると信じ込んでた
50を過ぎた友人に どんな気持ちか聞いたときに
出来ることと出来ないことが わかるから楽しいと笑ってたっけ>
(「朝が来るよ」作詞・作曲 槇原敬之)
これは、シンガーソングライターの槇原敬之が今年2月にリリースしたアルバム『Design & Reason』の1曲目「朝が来るよ」に出てくる一節だ。そんなふうに年齢を重ねていく感慨を歌った槇原は、きょう5月18日、50歳の誕生日を迎えた。
槇原敬之は1969年、大阪府高槻市で電器店を営む両親のあいだに生まれた。幼いころからピアノを習うとともに、身近にあったラジカセやテープレコーダーなどに親しんだ。小学生のころには、発売されたばかりのウォークマンで音楽を聴き、「人生が変わった」という(※1)。テクノポップで一世を風靡したYMOにも大きな影響を受けた。
中学のときに作ったデモテープがすぐに完売
中学に入ると、自分で曲をつくり始める。多重録音のできるマルチトラック・レコーダーを持っていた同級生(のちにレコーディング・エンジニアとなる澤田知久)と出会ってからは、一緒にデモテープを制作するようになった。録ったテープは100~150本ほどダビングし、行きつけの洋服店や楽器店に置いてもらうと、すぐに完売したという(※1)。高校1年のときには、元YMOの坂本龍一のラジオ番組『サウンドストリート』(NHK-FM)で自作の曲がかかったこともあった。「HALF」と題したその曲は、同番組に寄せられたデモテープを収めたCD(※2)で聴けるが、歌声はまだ粗削りながら、曲の完成度は群を抜いている。
デモテープを買った人のなかには、「曲を聴いて元気が出ました」と手紙をくれた人もいたという。当時の気持ちを槇原は、《それまでは自分のことを役立たずだと思っていたんだけど、その頃に初めて、自分が発信するものでも、なにかしら人の役に立てるんだと思えるようになった。だから、自分が音楽をやっているということは、決して当てのないものではないという気がしてきた》と後年振り返っている(※3)。