1990年代に浅野忠信が登場したときは衝撃的だった。独特の演技で周囲を魅了し、今も新たなスタイルを模索し続けている。主演映画『レイブンズ』で見せた奥深い芝居、そしてこれまでに出演した数々の作品を振り返る。(全3回の2回目/#1#3を読む)

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“なにもしない”演技スタイルが90年代の「時代の空気」にフィットした

――キャリアを振りかえると、1990年代に浅野さんが登場したときは、その“なにもしない”演技、つまり不自然なことやわざとらしいことをしない演技が衝撃的でした。

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浅野 『3年B組金八先生』(第3シリーズ/1988)で初めて演技をしたときは、なにも考えていませんでした。最初の映画『バタアシ金魚』(1990)のときも、原作が大好きだったので、「自分以外にだれがやるんだ」という気持ちだけです。

 でも『あいつ』(1991)のころには、もう演技はやりたくない、バンドをやっていきたいと思って、事務所の社長だった父親とよく喧嘩したんです。ただ父親は「演技をやれ」と。じゃあやりたくないことを、恥をかかないようにやるにはどうすればいいのかと考えて、普段のままいればいいんだと思ったんですよね。そうすれば友だちから「あんな演技しちゃってよ」とからかわれることもない。

©橋本篤/文藝春秋

 オーディションに行くと、控室では普通に話すのに、オーディションが始まった途端、みんな不自然な抑揚をつけて話し出すんです。それを見ていて、すごく恥ずかしかったんですよ。自分は絶対にそういうことをしたくないなって。そこからですね、普通にしゃべることを意識するようになったのは。

――当時の映画界には、そのスタイルを受け入れない人もいたんじゃないですか?

浅野 駄目な人はやっぱりオーディションで落としてくるんです。でもこいつ面白いなと感じてくれた人は、僕を使ってくれました。そういう人たちとの出会いを経て、次第にメインの役をいただけるようになったんです。ありがたいことに、時代の空気とフィットした部分もあったのかもしれません。

――それまでとは違うものを求める映画人が、次々と登場した時期でしたね。

浅野 僕は映画を全然観ていなかったから、当時はわかりませんでしたけど、いまになって観返してみると、90年代のどこかから違うものが感じられるんです。80年代まで通用していたことが、ある時点から通用しなくなったというか。若い監督と僕らみたいな俳優が、自由に探求しだしましたよね。