――映画を観ていなかったということは、あの演技スタイルは他の俳優に影響を受けたものではない、ということですか?
浅野 ひとつあるとすれば、親が映画好きだったので、小さいころに子どもの観られるような娯楽映画をたくさん見せてもらったんです。そのなかに、タイトルはわからないんですけど、すごく自然に見えるアメリカの俳優さんがいて、子どもながらに普段からこの人はこうなんだろうなと思えたんですね。それをオーディションのときなどにつねに思い出していました。ああいうふうにやればいいんだなって。自分のイメージをその人に当てはめるという作業をしていましたね。
――その作品や俳優は、いまだにはっきりしないんですか?
浅野 すごく小さいころだったので、全然わからないです。『キャノンボール』(1981)や『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984)より昔の作品だと思いますけど。あれは誰だったんだろう?
ミニシアター系映画が作られなくなってきて「次に行かなきゃ」と
――90年代中盤以降の浅野さんは、是枝裕和監督の『幻の光』(1995)や岩井俊二監督の『PiCNiC』(1996)をはじめ、数々の日本映画に出演して、その演技スタイルは多くのフォロワーを生みました。ところが2000年代のなかばごろ、浅野さんはそれまで避けてきた不自然なことやわざとらしいことに、あえて取り組むようになっていきます。
浅野 ミニシアターと呼ばれるような小さい劇場が次々に閉館して、テレビ局が製作する大きな映画が増えだしたときに、そのままだと自分は必要とされなくなるような気がしたんですね。あと自分自身でも少し飽きてましたから。もう十分やったかなって。90年代に作られていたような映画がほとんど作られなくなり、それほど日の目を見ない環境になっていって、その先になにがあるんだろうということが気になりだしたんです。どんどん次に行かなきゃと。
――90年代から00年代にかけて浅野さんが出演した、ミニシアター系とかアート系とか呼ばれるような日本映画が、00年代の半ばごろから急に減っていきました。そういう作品への愛着はあったんですよね?
浅野 いや、映画を観ないからよくわかっていなくて、あの時代に自分が役割を与えてもらったのがたまたまああいう作品だった、というだけなんです。やっぱり僕がいちばん好きな映画は、小さいころに観た『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)ですから。そういう意味では、「こういうタイプの映画も全然嫌いじゃないな」くらいの感覚でしたよね。